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面会もままならぬご時世 [父の介護]

9/27、入院翌日。
姉がいとこ会から戻ってきて病院に連絡。
不足している必要品を用意するよう指示された。
面会は姉妹揃って必要品を持参しながらがよいだろう、という話だったようだ。
そんな訳で、私たちは今日も札幌往復だ。
午前中は3カ月待たされた光回線の開通工事があるため午後に出発する。
(光回線工事ネタは、すったもんだあったので後日改めて)
姉と落ち合い、介護用品の買い出しをして病院に行った。
ところが、コロナ対策のため病室には部外者は立ち入り禁止。
病室外に父を搬送して面会場所を別途用意するため、
面会は週に一度、しかも前日までに事前予約が必要で、
今日は面会できないという。
姉が連絡した時はそんな話ではなかったので、
面会できないならわざわざ厚田からくる必要もなかったのに、と訝しく思う。

入院時に短時間だけ待機所で会えた時、
「寒い」
「○○しますからと言ったのに放置したまま何もしてくれない、
看護師は嘘ばかり言う」と警戒し、心細そうにしていた父の顔が浮かぶ。
救急搬送されてから検査やら問診やら入院手続きやら、
次から次へと違う担当の看護師が対応し、
明瞭に声が出ない父との齟齬があるだろうことは簡単に想像がついた。
看護師詰所に必要品を届けて、次回の面会予約をしてから
施設の父の居室の掃除をすることにした。

施設もコロナ対策で面会に制限があるが、やはり病院とは制限のレベルが違う。
このご時世、面会もままならぬのだと改めて思う。

父が転倒で脳外科に入院してから2週間。
それまで自由に外出して自立した生活をしていた父は、
あっと言う間に車いす・おむつ生活になってしまった。
転倒さえなければ温泉旅行にも行けただろうにと思うと、展開の速さに驚いてしまう。
この2週間の寝たきり生活で一気に筋肉も落ちてしまって、
あんな痩せた身体で今後の回復は見込めるのだろうか。


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3ヶ月目の再工事予定日 [移住に至る道・引越準備]

6/28に光回線工事を行って、ネット環境がある状態で移住する予定だった。
しかし、電柱が低いため電線の高さが確保できず、
工事不可となって、はや3ヶ月。
工事日決定の連絡を貰った際に、
プロバイダには「工事についてはNTTにご連絡ください」と言われ、
“実質手放しをしたのであとはNTTだよ宣言”されたも同然だった。
工事不可から2週間ほどしてNTTコールセンターから連絡が来たが、
北電との交渉がある、となかなか進捗せず、
NTT独自電柱を立てます、という展開を見せたのが1ヶ月半後。
その翌日、つうけんさんと思しき人が独自電柱を立てる場所を下見に来た。

いよいよ再工事、と期待したのも束の間、
結局そこから1ヶ月半はまったく進展せず、
やっと再工事日が設定されたのが3ヶ月目の今日、という訳だ。

午後からは姉と一緒に父の面会に行くので、
できるだけ早く終わってくれればいいなぁと思いつつ、
工事担当のつうけんさんが来るのを待つ。
午前中の工事、とは9:00~12:00の間に訪問するという時間の幅がある。
9:30。まぁ、まだだろう。ここは札幌から距離もあるし。
10:30。そろそろ連絡くらい来てもいいころだが、どうしたのだろう。
11:30になって、たまらずNTTコールセンターに連絡する。

「工事についてプロバイダ様から連絡が行くことになっておりまして、
私共ではご案内できかねます」ですと!
じゃ、じゃあ今日工事はないってことですか!
工事が中止になったなら連絡くらいくれたっていいじゃないですか!
「プロバイダからのメールで確認いただければと思います」
こちらからプロバイダに連絡しようにも、書面にはURLしか案内がなく、
ネットが開通しない限り私には問い合わせる方法がないことを伝える。
父の介護で札幌に頻繁に行っているなら、フリーWiFiを使って
問い合わせればいいじゃないかと思うでしょうが。
スマホを持たぬ私は、デスクトップパソコンを持参しないとアクセスできないのだ。
開通しない限りメールでURLを案内されても確認できないので、
電話で連絡するようプロバイダに伝えてほしいとお願いした。

こちとら、今はちょっと情緒不安定なのだ。
コールセンターのお姉さんに文句を言っても埒があかないことは百も承知だが、
ダーリンが仕事に出てしまうと厚田市街地に出ることもそう簡単ではないし、
父の介護で頻繁に家を空けなければならない中で
工事日だと言われてすっぽかされることがどれだけ困るのか、
ネット環境がないことで如何に生活に支障が出ているのか、と
切々と訴えているうちに、なんか情けなくて涙声になってきてしまった。

「プロバイダ様に私共からご希望は伝えさせていただきます。
わたくしが担当として今後も進捗を見守りますので、もう少々お時間をください」
いや、わかってるんです。あなたが悪い訳でもないし、
あなたに言っても即座に何かが動く訳でもないことはわかりきっているんです。
でも、本当に、本当に困っているのです、と再度訴える。
もう昼だ。父の面会に行かなければ。


札幌で父に面会できずアタフタしている15時過ぎ、ガラケーに
プロバイダからショートメールが入る。
“ご契約状況は以下のURLにてご確認ください”
だからっ! 開通しないとそのURLにアクセスできないんだってば!


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退院後の行先を探す [父の介護]

姉は自分の通院など名古屋での用事があるため、9/30には帰名する。
父の現状では退院しても もう自立して生活するのが前提の高齢者住宅には戻れない。
入院生活は最大でも3ヶ月。その間に次の行先を探しておかなければ。

病院のケースワーカーと相談し、系列の老人保健施設はどうかと提案をいただいた。
今日は姉と一緒に、老人保健施設の見学と説明を聞きに行くことになった。

入居していた高齢者住宅は、いわば食事がついた一般住宅に、
必要な介護サービスを追加したようなもので、自由度が高い。
(それでも父は入居当初は「監獄みたいだ!」と怒っていたが)
現在は入院中なので、あくまで回復して退院していくための生活で、制限も多い。
老健は、その中間のような所らしい。
個室はないが、私物を入れる収納もあり、イヤホンを使えばラジカセで音楽も楽しめる。
病衣で過ごすのではなく、私服を着て、皆と食堂で食事をし、
リハビリだけでなくリクリエーションなどもある。
そして何より、医師が常駐しているので、体力が落ちた父には最適ではないかと思われた。

姉と相談の上、退院後は老健に入居する方向で、ケースワーカーに調整をお願いした。
姉の帰名前に、医師からの病状説明があるとのこと。
9/28に姉と一緒に父に面会したあと、医師面談することになった。
3日連続での札幌通いかぁ。
仕方のないことではあるが、だいぶん私とダーリンの体力・気力も減ってきたなぁ。



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面会と医師面談 [父の介護]

コロナ対策で病室での面会はできないので、別室を設けてもらって会う。
父はベッドのまま移送されてきた。
通常の父と比較すると衰弱はしているものの、
救急搬送された頃のような朦朧とした光の無い眼ではなく、
しっかりした眼光に戻っていた。

脳梗塞の後遺症としての てんかん発作の可能性を指摘されてから
父は抗てんかん薬を処方された。
半錠だった頃の一週間は影響がなかったように見受けられたが、
通常量として1錠を服用するようになってから極端に朦朧とするようになった。
施設でも、それが原因で急に生活の質が落ちたのでは、と懸念してくれて、
私達が法事で動けない間に「抗てんかん薬を止めても良いか」と脳外科と
折衝してくれて現在は抗てんかん薬を服用していない、という経緯があった。
今しっかりした眼光に戻った父を見て、
やっぱり薬が合わなかったのではないか、と意を強くした。
けれどその間、朦朧と寝たきり状態にあったため、
あっと言う間に筋肉が落ち、体力が落ちて、
入院時に比べても更に痩せているのがわかった。
なんやかやと不満と冗談が多い私達家族の常で、
面会時の会話は、憎まれ口とツッコミの応酬と言う通常運転で明るくはあった。


父が病室に戻されたあと、医師面談がはじまった。
今回の入院は誤嚥肺炎であると、レントゲンを見ながら説明してくれる。
肺が白く映っている部分があり、要はここが機能せず、
呼吸をするスペースが少ない状態なのだ。
嚥下機能もかなり落ちており、現在は嚥下のリハビリで回復状況を見ている。
肺炎を起こすたびに体力が落ち、肺の白い部分が増えていけば
酸素が取り込めないので血中酸素濃度も落ちていく。
高齢のため、このようなことを繰り返すと、治療中でもいつ死に至ってもおかしくないと。
最期を迎えるにあたって、家族の意思を確認しておきたいとのことだった。

私達は、母を見送った際に、家族が死に直面した時も延命治療は行わない、と決めていた。
父も、呼吸が苦しそうな母の姿を見るのが辛かったという。
だから、本人・姉・私ともその意志は統一されていることを伝えた。
もし父がその場面に直面した時、同じ意志でいられるかはわからないが、
現時点ではそうであることを伝えて、面談は終わった。

明るく父と冗談を言い合ってちょっぴり安心したのも束の間、
意外に「その時」は近いのかもしれない。


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周りに誰かが居てくれる、ということ

9/30に姉は帰名した。
父の命に係わる話を姉妹で共有できたことは本当に助かった。
ひとりではかかえきれない。
ひとり、といってもいつもダーリンが仕事を休んで必ず一緒に来てくれていたのだが。
いちいちオロオロ、バタバタする私を、落ち着いて支えてくれている。
イチゴ収穫の仕事も、何故かうまい具合に札幌の用事とはかぶらずに続いていた。
作業をしながら父の状況を聞いてもらったり、地元の情報を聞かせてもらったりして
本当に気が紛れて助かっていた。
自分ではああ大変、と思っていても、必ず何かしらの助けがあって
やっていけているのだと実感する。

先日の光回線工事ができなかったことや、
ダーリンが諦めきれずに薪を集めている話も、
スーパー農業女子である奥様は、
「もう~いい加減に観念してスマホにしちゃいなよ」とか
「今年は無理だから。旦那さんに今年は灯油を勧めなよ」と、
しっかりした理由を簡潔に添えながらサクッと断じてくれる。
ネチネチと迷って悩んでいる私には小気味よくて、
納得するか否かは別として、話してスッキリさせてもらえるのは間違いない。


すごくハッとする出来事があった。
ご主人と奥様の間で作業のやりかたの食い違いがあったようで、
ハウスの外でちょっとした言い合いをしていたことがあった。
聞き耳を立てていた訳では無いので内容はわからないが、
奥様が指摘した内容に、ご主人が「それならもうやらない」と
今後の作業を拒否したような流れのように聞こえた。

「極端に走るな」と奥様の声。

まるで自分への指摘のようだった。
何かを一生懸命にやっているのに、それが違うと言われた時。
私は「それならやらない!」と是か非かに走りがちなのだ。
ああ、そうなのだ。
私には、極端に走らず、他の方法・他の道を探る心の余裕がないのだ。
もちろん、極端に走るに至る理由はある。
ガマンしているのだ。
抱えきれない荷であったり、
自分にとっては理不尽に思える経緯があってなお、
それでも一生懸命やっていると思っている時に、否定されると突然爆発してしまう。
極端に走らない方法は、否定される局面での対応ではなく、
それ以前にガマンせずに、納得してやっていく方法を見つけていくことなのだ。
爆発する前に、ちゃんと自分の中で起こっていることに敏感になろう。


・・・かように、人と接触することは日々学びなのだった。
ありがたいことだね。ほんとうに。


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行方不明者 [山菜・きのこ採り]

10/1。
発足はにわかに騒がしくなっていた。
消防車が道道を走り、地域の会館に軽トラが集結していた。
ダーリンと、「何かあったのかな? 火事にしては煙の気配はないね」と話していた。

夜、イチゴ農家さんからメールが入る。
父が入院したので今後はちょっと休みがちになるかも、と相談していたところだったが、
「3日ほど用事で作業ができなさそうなので、手伝いに来られるだろうか」
という内容だった。
10/3は父の面会で札幌だがそれ以外は大丈夫、と返信する中で、
消防車と軽トラ集結の話を聞いてみた。
「キノコ採りの行方不明者の捜索でした。明日もです」ですと!

今日は雨がそぼ降り、ストーブを出し始めた気温でもある。
この真っ暗な山の中で、身体は冷えてしまわないだろうか。
想像して、ダーリンと二人、震え上がる。
行方不明者が出ると、こうして地元の人たちに負担がかかるんだなぁ。
よくニュースで「消防や地元の捜索隊が山を捜索」というフレーズを聞いたが、
こういうことだったのか。


無事、翌日発見されて大事には至らなかったが、
わざわざキノコ採りに来ていた元札幌民としては、思う所の多い一件だった。


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本人同席での医師説明 [父の介護]

父の病室でコロナ陽性者が出たという。
最初は一人だけだったが、日を追うにつれ、二人目、三人目と陽性に転じていき、
今や父だけが陰性のため、逆隔離で一人部屋に移ったらしい。

先週の医師面談で「一週間、嚥下リハビリの効果や肺炎の回復状況を見て、
今後の対応をご家族と相談しましょう」という話になっていたが、
今日はその面談の日だ。
姉には電話のスピーカー機能を使って一緒に説明を聞いてもらい、
本人同席のもと、現状を理解した上で意思確認をするのだ。


面談の前に父に面会した。
今回はベッドでなく、車いすで現れた。血色も良く、明らかに入院時より元気だ。
リハビリのおかげで、なんと、つたい歩きもできるようになり、
トイレくらいなら付き添いがあれば歩いて行ける時もあるのだという。
「その時」を覚悟したけれど、まだまだ大丈夫かもしれない、と希望を持った。
口は入歯が入っていないこともあり、言葉が明瞭ではないが、
頭はしっかりしており、あいかわらず
「あれを持ってこい、これを持ってこい」と要求は激しい。
父は、退院したら高齢者住宅に戻って、ああしたい、こうしたい、と言う。
現状ではもう戻れないんだよ、と話す。
以前の状態に戻らない限り、自立が前提の高齢者住宅では受け入れができないため、
今はお向かいのクリニックに併設した老健に移動することを考えているんだ、と。

「ここが終の棲家だと言っていたじゃないか。俺は何としても帰りたい」
わかるよ。私達だってそのつもりだった。父が静かに機能が衰えていくなら
そのまま高齢者住宅で看取りができるはずだったのだ。
救急搬送する事態になってケアの範囲が大幅に変更になった今となっては無理なんだ。


父が納得しないまま、医師が現れて面談が始まった。
姉とも電話を繋いで皆で医師の説明を聞く。
「嚥下のリハビリも行って、機能の回復状況を見ましたが、回復の見込みがありません」
顔色も良く、元気につたい歩きもできるようになった父に抱いた希望は、
ひとことで打ち砕かれた。


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砂時計の砂が落ちるように [父の介護]

入院当初の誤嚥肺炎は回復した。だが、新たな炎症が出た。
ということは、また新たに嚥肺炎を起こしたということだ。
病院では、嚥下の機能が落ちた患者でも、できるだけ安全に食事が摂れるよう
「完全側臥位法」という、横になったまま食べ物を流しいれることで
気管への誤嚥が起こらないようにする方法で食事介助をしてくれていた。
それでも、誤嚥肺炎が起きたという事なのだ。
リハビリを経て専門医が嚥下機能改善の是非を判定したが、
自分の痰があっても咳き込みもしない、異物に反応しない状態になっているとのこと。

食事を摂取し続ける限り、誤嚥肺炎のリスクがあり、
肺炎を繰り返すごとに体力が奪われていく。
かといって、食事を摂取しなければ自身の身体を使って生命維持することになり、
これもまた体力が奪われていく。
どちらの方法をとっても、まるで砂時計の砂が落ちるように、
少しずつ少しずつ父の命は残り少なくなっていくことには変わりはないのだ。

話しは続く。
「口から摂取できなくても胃ろうという方法はあります。
肺が機能しなくなっても、人口呼吸という方法もあります」
それは、私達が望まない、延命措置だ。
「それを望まないのであれば、食事の回数を減らして、誤嚥肺炎のリスクを減らします。
ただ、回復が難しい場合、入院し続けるのは難しいので、老人保健施設や
療養型病院への転院となりますが、現状、完全側臥位法を行っている病院は殆どなく、
受け入れは難しいと思われます」

万事窮す。
食べることが大好きな父。
施設の食事が意に沿わなければ自分で作ってまで食べることを楽しんでいた父。
食べること自体が、生きることのリスクになるなんて。
「では、もう食事はできないということでしょうか」
「基本的にはそうなります。病院ではわざわざ誤嚥リスクの高い食事摂取を続けることは
肺炎の繰り返しにしかなりません。それはとりもなおさず体力を奪うリスクなのです。
でも、受け入れ先で、“お楽しみ”として週に一度程度、
果汁などを舌に載せて味わっていただく機会はあると思います」
ただ、肺炎という病状がある状態では転院受け入れはできない。
あくまでコロナ陰性で、転院許可が出せる位の病状回復があっての転院なのだ。

私達も落胆したが、父もショックは隠せなかった。
「食べられないって、そんな馬鹿なことがあるか」
私からも再度噛み砕いて説明する。
父にしてみれば、体調も回復して、つたい歩きもできるようになり、
明らかに回復に向かっていると実感しているなかでの死刑宣告のようなものだ。
しかも、その方針を承諾する、ということは
自らカウントダウンのスイッチを押すという事なのだ。


電話口の姉も、私も、延命措置は望まないという意志は伝えた。
ただ、少しでも父が最期まで楽しみながら生きてほしい、という希望はあり、
少量だったとしても、「食べられる楽しみ」がある生活をさせてほしいのだと伝えた。
極端なことを言えば、食べて誤嚥性肺炎で最期を迎えることになっても、
食べることに渇望して最期を迎えるよりは納得できるであろうと思っている、と。

父は病室に戻り、私達も帰路についた。
もうすっかり陽が暮れて、暗い道を無言で帰る。
ダーリンは父を思って泣いてくれていた。


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近所の山親父 [厚田の野生生物]

ちょっと前の話になるが。
9/20のイチゴ収穫に行った際、往く道に「熊出没注意」の看板が立っていた。
父の転倒・脳外科への救急搬送があった後、
札幌往復を繰り返していることを慮ってイチゴ収穫の頻度を減らしてくれていたので、
「いつの間にこんな看板が立ったのかなぁ、もう熊出没時期かぁ」
なんて思いながら、3日ぶりにイチゴのハウスに顔を出した。

「話したっけ? うちのすぐ傍で熊が出たんだよ」
ええ~~~!! もしかしてあの看板は、それを受けて設置したのか!
あれ? でもあの場所って、道道に面した比較的車の通行が多い所だよね?
件の場所は広く開けた田んぼと、道道に挟まれた、ほんの小規模な藪。
藪と田んぼの間は軽トラが入れるくらいの細い農道があって、
日に1~2度は軽トラが入って来てもいる、人っ気が全くないような場所ではないのだ。
「こっちの田んぼもそろそろ稲刈りかなぁと様子を見に来たら、
藪からガサガサッて音がして、熊が出てきたんだ! びっくりしたよ~」
えっ! この小さな藪だとかなりの至近距離?
「道道を渡って川の方に逃げて行ったよ」

そうかー、こんなに身近な場所で熊が出没するんだなぁ、と改めて驚く。
移住当初は「この辺って熊も出るんですか」と聞くと、
「まぁ発足ではあまり聞かないねぇ。
どちらかというと市街地に近い方が話聞くなぁ。
キツネとかシカとか、とにかく動物は多いけどね」なんて言われてたけど。


緊迫した話なのだが、
『道道を渡って』という野生生物に似つかわしくないワードに
二足歩行で横断している絵本チックな熊の映像が浮かんでしまう私。
いかん、いかん。
ダーリンは「きのこ、出てるかなぁ」と、すぐ原野を見に行ってしまうので、
「敷地内でも熊鈴の携帯必須!」としっかり伝えておかねば。


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カメムシ登場 [厚田の野生生物]

どこから入ってくるのか。
カメムシがおうちの中を徘徊するようになった。
一番多く出現するのはサンルームだ。
彼らは温かくて明るい所が好きなのだ。
隙間と思われる所にはシール材をぎゅうぎゅう挟み込んでみたが、
どこからともなく入ってくる。
最初は、見つけては窓の外に離していたが、もうそれどころの騒ぎではなくなってきた。

カメムシぽっとん、という対応策を使う。
これは、移住前のまだネット環境があったころに調べておいたものだ。
ペットボトルを半分に切り、(飲み口側の長さを短くする)
飲み口を中に向けて逆さに刺すようにセットしてテープで固定する。
中には少し水を入れて食器用洗剤を溶かしておく。
カメムシは危機を察知すると下に向かって飛ぶので、カメムシのそばに
このカメムシぽっとんを差し向けるだけで、自ら入ってくれたりするのだ。
内部が漏斗状になっているので、自ら入らないまでも、ここに落とすだけで
下の水溜りに落ちる、という塩梅である。

簡単に捉えることができるが、次から次から登場するので、
あっという間にいっぱいになった。
2階にも頻出するので、気が付いた時にぽっとんできるよう、
結局3個作った。
いやぁ、それにしても、どうしてこんなに次から次から・・・。
虫たちは本当に細い隙間でも入ってくることができるので、
「うちは隙間がどこにでもあるからねぇ」と二人で力尽きる。

冬に向けて、初めて迎える厚田の秋。
越冬を控えた虫たちとの攻防は始まったばかりなのかもしれない。


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