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いよいよ開通の見通しか? [移住に至る道・引越準備]

家の中で転倒して骨折してたらシャレにならん、と思っていたが、
時間が経つとなんともなくなった。
よかった。かなり痛かったけど、大事には至らなかったようだ。

着信履歴を見ると、NTTだったので折り返した。
「工事日が決まりました。つきましては、専用電柱設置のため事前に伺います」ですと!
キター!! とうとう開通か!
本来の工事予定日は6/28。
再工事日設定が9/27。
そして来ました、電柱設置の上での再々工事日設定が10/25。

再工事予定日からNTTと何度か連絡をとったが、
「プロバイダからは電話連絡はできないとのことでした」との回答。
WiFiが使える場所に行った際に、ダーリンのiPadで
プロバイダの問い合わせ窓口をたくさん調べてもらい、
電話問合せ窓口を数種類と、FAX問合せ窓口をメモに控えた。
電話問合せ窓口は色々試したが、
どの自動音声の設問を選んでいっても、
最終的に「webでご確認ください」という回答で終わる、と確認できただけだった。
それでは、と連綿と困っていることを書き連ねて、
わざわざ厚田のコンビニまで行ってFAX送信を試みたが、
「送信先の番号は現在使われていないか電源が入っていないため送信できません」ですと。
もうその時点で癇癪を起していたが、ダーリンが更に
「オペレーターと繋がる工事進捗確認窓口があるよ」と調べてきてくれた。
それで、やっと、やっと、プロバイダと連絡がついたのだ。

今度はイケるんじゃないか?
電柱設置工事の話も具体化したし。

いやぁ~、4ヶ月かぁ。
札幌への往復で、つうけんさんの高所作業車を見かける度に、
「発足ですか、行先は発足ですか」と車内で騒ぐ、というのがネタになっていた日々。
ガラケーとラジオだけで過ごした日々。
不便だったけどその分、いっぱい、いっぱい、
空を見て、発足の音を聞いて、過ごした日々でもある。
終わってみれば、得たこともたくさんあったなぁ・・・
って、まだ終わってないし! 本当に開通するまでは、油断は禁物だ!!


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骨折の思い出

外仕事をして玄関に戻ったら、携帯電話が鳴っていた。
(携帯電話なんだから携帯しとけ、って話なんだが)
引っ越したことを周囲のほとんどに連絡していないので、今電話が鳴るとしたら
父がらみのことか、役所か、ネット関連の話しかない。
あわてて中に駆け込み、リビングに入ろうとしたら、
段差につまづいて、横倒しに転んだ。
したたか脇腹を打ち付けて、しばらく唸っているうちに電話は切れた。


私は過去3回、転倒で骨折らしきことをしている。
一度目は無職だった10年前、職業訓練所の修了を間近に控えた頃に左足首を骨折。
これは前身の拙ブログ『54歳、はじめての骨折。』で事細かに綴った。
  ※現在この前身ブログはログインできず放置。
   新たなパスワードにしようにも「登録アドレスが違います」と弾かれる。
   乗っ取られてしまったのかもしれない。

二度目はチャリで市民農園に通う道すがら、少しでも近道しようと横切った
河川敷の草地で窪みにはまって自転車ごと転び、脇腹を打った。
たいしたことがなかったので病院へは行かなかったが、ある一定の動きをすると
ピキィ!と鋭い痛みが走る症状だった。おそらくヒビが入っていたと思われる。
まぁ、これは一定の動きを避けて生活していれば問題がなかったので、
ほどなく自然治癒した。

三度目は、これも市民農園への道すがら、別の河川敷のアスファルト上で転び、
自転車から投げ出された先の歩道のタイルに頭を打ち付けた。
眉尻を切って出血し、転倒をきっかけに結構生活に不便を感じるほどの飛蚊症になった。
職場に迷惑をかけながら外科だの眼科だのをはしごして、忙しくしているうちに気が付く。
「あれ? 息をするだけであばらが痛い・・・」
近所のスポーツクリニックを受診したら、やっぱり肋骨にヒビが入っていた。
「この部位のヒビは、安静にしてそのままでいてください、としか言えない」と、
気休めに、“ここに無理をかけないよう自分で意識するために”、
サポーターベルトを巻くだけの対処方法だった。
1ヶ月もしないうちに痛みはなくなったが、
痛かった時は物を持ち上げたり、タオルを絞ったりすると鋭い痛みが走って
バケツを落として水を撒いてしまったり、洗ったタオルを落としてやり直したりしていた。
ギックリ腰になった時も思ったが、
「へぇ、身体ってこんな動きでこんな場所を使っているのか」と随分発見があったものだ。
だから私はケガとか体調不良とかは全然悪いものとは思っていない。
3週間入院した時も、入院生活は新たな経験だらけで面白くて仕方なかったし、
(不安とか、不便とかも含めて、ね)
リハビリで歩こうとしても「歩き方がわからない」という新鮮な驚き、
できることが増えていくことの純粋な喜びは、健常時には感じられない凄い経験だった。


こんな話をすると、ダーリンが言う。
「そうは言うけど、突然『助けて』と電話が来るとビックリするんだよ」と。

三度目の転倒は、もう市民農園まで残り1km位の、人っ気のない場所でやらかした。
頭を打ち付けた直後は何秒くらいかはわからないが、しばらく眼が見えなかったし、
あちこち痛いし、帽子を脱げば血がついているしで、かなりビビったのだ。
人も通りかからない、遠巻きに工場や倉庫があるだけの場所で、
ダーリンに「助けて」と電話をかけたのだった。
日曜以外は休みもなく、その休みにも仕込みのため出かけていたような激務の頃。
ダーリンは休日の明るいうちから飲んでいた時だったので、
慌てて7km先の現場までタクシーを飛ばし、
運転手さんに救急病院を調べてもらって当番医まで付き添い、
さらに「頭を打っているなら脳外科に行きなさい」と当番医に言われて
脳外科の当番病院まで またまたタクシーを飛ばして付き添ってくれたのだ。

検査も処置も終わって病院を出るころにはもう夕方だった。
脳外科の当番病院の傍に以前入ったことのある中華料理屋があった。
タクシーで大散財したので歩いて帰ろうとか言っていた私が、
「お腹すいた。あの中華屋に行きたい」とワガママを発動させ、
転んで汚い服のままで(しかもあちこち血のシミをつけたまま)ゴキゲンで食事した。

あ、ここまで書いていて、何かが思い当たる。
ダーリン、「BERAはお父ちゃんの娘だよなぁ。
やんちゃしてケガするとことか、直ったらあれが食べたいとか」とダメ押し。
とほほ。仰る通りです。
やってること、そっくりだぁ。


タグ:転倒 骨折 ヒビ
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