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面会と医師面談 [父の介護]

コロナ対策で病室での面会はできないので、別室を設けてもらって会う。
父はベッドのまま移送されてきた。
通常の父と比較すると衰弱はしているものの、
救急搬送された頃のような朦朧とした光の無い眼ではなく、
しっかりした眼光に戻っていた。

脳梗塞の後遺症としての てんかん発作の可能性を指摘されてから
父は抗てんかん薬を処方された。
半錠だった頃の一週間は影響がなかったように見受けられたが、
通常量として1錠を服用するようになってから極端に朦朧とするようになった。
施設でも、それが原因で急に生活の質が落ちたのでは、と懸念してくれて、
私達が法事で動けない間に「抗てんかん薬を止めても良いか」と脳外科と
折衝してくれて現在は抗てんかん薬を服用していない、という経緯があった。
今しっかりした眼光に戻った父を見て、
やっぱり薬が合わなかったのではないか、と意を強くした。
けれどその間、朦朧と寝たきり状態にあったため、
あっと言う間に筋肉が落ち、体力が落ちて、
入院時に比べても更に痩せているのがわかった。
なんやかやと不満と冗談が多い私達家族の常で、
面会時の会話は、憎まれ口とツッコミの応酬と言う通常運転で明るくはあった。


父が病室に戻されたあと、医師面談がはじまった。
今回の入院は誤嚥肺炎であると、レントゲンを見ながら説明してくれる。
肺が白く映っている部分があり、要はここが機能せず、
呼吸をするスペースが少ない状態なのだ。
嚥下機能もかなり落ちており、現在は嚥下のリハビリで回復状況を見ている。
肺炎を起こすたびに体力が落ち、肺の白い部分が増えていけば
酸素が取り込めないので血中酸素濃度も落ちていく。
高齢のため、このようなことを繰り返すと、治療中でもいつ死に至ってもおかしくないと。
最期を迎えるにあたって、家族の意思を確認しておきたいとのことだった。

私達は、母を見送った際に、家族が死に直面した時も延命治療は行わない、と決めていた。
父も、呼吸が苦しそうな母の姿を見るのが辛かったという。
だから、本人・姉・私ともその意志は統一されていることを伝えた。
もし父がその場面に直面した時、同じ意志でいられるかはわからないが、
現時点ではそうであることを伝えて、面談は終わった。

明るく父と冗談を言い合ってちょっぴり安心したのも束の間、
意外に「その時」は近いのかもしれない。


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退院後の行先を探す [父の介護]

姉は自分の通院など名古屋での用事があるため、9/30には帰名する。
父の現状では退院しても もう自立して生活するのが前提の高齢者住宅には戻れない。
入院生活は最大でも3ヶ月。その間に次の行先を探しておかなければ。

病院のケースワーカーと相談し、系列の老人保健施設はどうかと提案をいただいた。
今日は姉と一緒に、老人保健施設の見学と説明を聞きに行くことになった。

入居していた高齢者住宅は、いわば食事がついた一般住宅に、
必要な介護サービスを追加したようなもので、自由度が高い。
(それでも父は入居当初は「監獄みたいだ!」と怒っていたが)
現在は入院中なので、あくまで回復して退院していくための生活で、制限も多い。
老健は、その中間のような所らしい。
個室はないが、私物を入れる収納もあり、イヤホンを使えばラジカセで音楽も楽しめる。
病衣で過ごすのではなく、私服を着て、皆と食堂で食事をし、
リハビリだけでなくリクリエーションなどもある。
そして何より、医師が常駐しているので、体力が落ちた父には最適ではないかと思われた。

姉と相談の上、退院後は老健に入居する方向で、ケースワーカーに調整をお願いした。
姉の帰名前に、医師からの病状説明があるとのこと。
9/28に姉と一緒に父に面会したあと、医師面談することになった。
3日連続での札幌通いかぁ。
仕方のないことではあるが、だいぶん私とダーリンの体力・気力も減ってきたなぁ。



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3ヶ月目の再工事予定日 [移住に至る道・引越準備]

6/28に光回線工事を行って、ネット環境がある状態で移住する予定だった。
しかし、電柱が低いため電線の高さが確保できず、
工事不可となって、はや3ヶ月。
工事日決定の連絡を貰った際に、
プロバイダには「工事についてはNTTにご連絡ください」と言われ、
“実質手放しをしたのであとはNTTだよ宣言”されたも同然だった。
工事不可から2週間ほどしてNTTコールセンターから連絡が来たが、
北電との交渉がある、となかなか進捗せず、
NTT独自電柱を立てます、という展開を見せたのが1ヶ月半後。
その翌日、つうけんさんと思しき人が独自電柱を立てる場所を下見に来た。

いよいよ再工事、と期待したのも束の間、
結局そこから1ヶ月半はまったく進展せず、
やっと再工事日が設定されたのが3ヶ月目の今日、という訳だ。

午後からは姉と一緒に父の面会に行くので、
できるだけ早く終わってくれればいいなぁと思いつつ、
工事担当のつうけんさんが来るのを待つ。
午前中の工事、とは9:00~12:00の間に訪問するという時間の幅がある。
9:30。まぁ、まだだろう。ここは札幌から距離もあるし。
10:30。そろそろ連絡くらい来てもいいころだが、どうしたのだろう。
11:30になって、たまらずNTTコールセンターに連絡する。

「工事についてプロバイダ様から連絡が行くことになっておりまして、
私共ではご案内できかねます」ですと!
じゃ、じゃあ今日工事はないってことですか!
工事が中止になったなら連絡くらいくれたっていいじゃないですか!
「プロバイダからのメールで確認いただければと思います」
こちらからプロバイダに連絡しようにも、書面にはURLしか案内がなく、
ネットが開通しない限り私には問い合わせる方法がないことを伝える。
父の介護で札幌に頻繁に行っているなら、フリーWiFiを使って
問い合わせればいいじゃないかと思うでしょうが。
スマホを持たぬ私は、デスクトップパソコンを持参しないとアクセスできないのだ。
開通しない限りメールでURLを案内されても確認できないので、
電話で連絡するようプロバイダに伝えてほしいとお願いした。

こちとら、今はちょっと情緒不安定なのだ。
コールセンターのお姉さんに文句を言っても埒があかないことは百も承知だが、
ダーリンが仕事に出てしまうと厚田市街地に出ることもそう簡単ではないし、
父の介護で頻繁に家を空けなければならない中で
工事日だと言われてすっぽかされることがどれだけ困るのか、
ネット環境がないことで如何に生活に支障が出ているのか、と
切々と訴えているうちに、なんか情けなくて涙声になってきてしまった。

「プロバイダ様に私共からご希望は伝えさせていただきます。
わたくしが担当として今後も進捗を見守りますので、もう少々お時間をください」
いや、わかってるんです。あなたが悪い訳でもないし、
あなたに言っても即座に何かが動く訳でもないことはわかりきっているんです。
でも、本当に、本当に困っているのです、と再度訴える。
もう昼だ。父の面会に行かなければ。


札幌で父に面会できずアタフタしている15時過ぎ、ガラケーに
プロバイダからショートメールが入る。
“ご契約状況は以下のURLにてご確認ください”
だからっ! 開通しないとそのURLにアクセスできないんだってば!


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面会もままならぬご時世 [父の介護]

9/27、入院翌日。
姉がいとこ会から戻ってきて病院に連絡。
不足している必要品を用意するよう指示された。
面会は姉妹揃って必要品を持参しながらがよいだろう、という話だったようだ。
そんな訳で、私たちは今日も札幌往復だ。
午前中は3カ月待たされた光回線の開通工事があるため午後に出発する。
(光回線工事ネタは、すったもんだあったので後日改めて)
姉と落ち合い、介護用品の買い出しをして病院に行った。
ところが、コロナ対策のため病室には部外者は立ち入り禁止。
病室外に父を搬送して面会場所を別途用意するため、
面会は週に一度、しかも前日までに事前予約が必要で、
今日は面会できないという。
姉が連絡した時はそんな話ではなかったので、
面会できないならわざわざ厚田からくる必要もなかったのに、と訝しく思う。

入院時に短時間だけ待機所で会えた時、
「寒い」
「○○しますからと言ったのに放置したまま何もしてくれない、
看護師は嘘ばかり言う」と警戒し、心細そうにしていた父の顔が浮かぶ。
救急搬送されてから検査やら問診やら入院手続きやら、
次から次へと違う担当の看護師が対応し、
明瞭に声が出ない父との齟齬があるだろうことは簡単に想像がついた。
看護師詰所に必要品を届けて、次回の面会予約をしてから
施設の父の居室の掃除をすることにした。

施設もコロナ対策で面会に制限があるが、やはり病院とは制限のレベルが違う。
このご時世、面会もままならぬのだと改めて思う。

父が転倒で脳外科に入院してから2週間。
それまで自由に外出して自立した生活をしていた父は、
あっと言う間に車いす・おむつ生活になってしまった。
転倒さえなければ温泉旅行にも行けただろうにと思うと、展開の速さに驚いてしまう。
この2週間の寝たきり生活で一気に筋肉も落ちてしまって、
あんな痩せた身体で今後の回復は見込めるのだろうか。


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