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後期高齢者もおぼつかない [父の介護]

昨夜アマゾンプライムビデオが見られなくなった、と父から電話。
いつ来るんだ、というから、明日行くと返事した。今日行ったばかりなのに仕方ない。
ガソリンも高いし、二度手間はキツイなぁ。

高齢者住宅はいまだに感染症対策のため面会禁止だ。
でも、感染していない入居者は外出できる。(なんか納得できないシステムだが)
施設長にTVの設定をしなければならない事情を説明し、入室させてもらう。
設定をいじったと思われ、また設定をし直す。
契約やパスワードがどうなっているのか早く確認したいが、
9月末にならないと光回線が開通しないため、如何ともしがたい。

無事設定し直して見られるようになったら、
外で一緒に食事をしたいという。
外出はできるらしいし、車で移動できるから、問題ないだろう。
・・・と思ったら、部屋の鍵が無いという。
合鍵は私がもっているので大丈夫と言うと、今度は財布が無いという。
94歳、後期高齢者。いわゆる認知症ではないが、お片付けのできない人なので
(あー、遺伝かしら、我ながら耳が痛い)
何処に置いたか、仕舞ったのかもおぼつかない。
何とかなるから、と急き立てて外出する。

近くの回転寿司に行ったが、あと3時間くらいで食事だから
あまり食べられないと言う。なら、食事じゃなくてもよかったじゃないか~。
部屋の鍵開けついでに再度高齢者住宅に戻ると、
訪問看護師が「お薬の点検に来るって言ってたのに外出して~」と玄関で待っていた。
「もうお薬がないはずだから」「いやいやまだまだ有るんだ」
「新しいお薬をお薬カレンダーに入れないと」「どうせ同じ薬なんだから」
「そういう問題じゃなくて、ちゃんと飲んでないで残ってるってことが問題なの」
・・・入所する前にさんざんした会話だよなぁ。
すみませんねぇ。こんな父で。
対応していただいて助かってます。ありがとうございます。
娘もこうなら、父もこう。おぼつかない一族である。


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父の転倒 [父の介護]

千年の森散策の翌日は、先日来訪した
内装のプロの友人夫婦が来て施工してくれる日だ。
しかも、先月来訪した建築家の友人夫婦も追っ付け駆けつけてくれるという。
来訪者があるのは本当に嬉しくて、森の話など話したいネタが次々浮かんでしまう。

そこへ夜、父からの電話。
「お父さん、倒れたんだ」
え!? 以前軽い脳梗塞を患って入院したことがあるため、ビクッとなる。
「立ち上がる時に転んで、TVの下敷きになったんだ、あちこちケガして痛い」
ああ、良かった、転倒であれば。
大なり小なり、時々コケては擦りむいている父なのだ。
父は見守りや非常時のケアをしてくれる高齢者住宅に住んでおり、
とにかく自由を制限されることを嫌うため、
施設にも「たとえ多少コケてケガをすることがあっても、
本人が望む限り自由に外出させてやってほしい」と日頃からお願いしてある。
聞けば倒れた時の応急処置は訪問看護師がしてくれたが、
土曜は病院がやっていなかったので、来てくれ、という。

ケガをする時って、何故か病院が休みの日が多くないか。
私も何度もケガをしているが、ほぼ病院がやっていない日ばかりだった。
それにしても、病院がやっていない日に行ってもケガをどうすればいいのか私だってわからない。
しかも、明日はわざわざ札幌から4人も都合をつけて
私たちのおうちの施工を無償でやってくれるという日なのだ。
明日はどうしても行けないが、救急が必要でないなら、
病院が開く月曜に行くから、と言って電話を切った。

何をやってくれているんだ。まったくもう。


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父、再度転倒する [父の介護]

父から電話があり、「月曜は一人で行くから来なくていい」と。
すでに札幌に行く予定を立て、友人の忘れ物をついでに届ける話になっていたので、
札幌で足すべき用事を、ダーリンの公的な用事も含めて全部詰め込んでいる。
ガソリン代も高い昨今、今さら予定は変えたくない。
行っても外出中なのだから、次回に様子を見に行くことにして、用事を足した。
心細くなれば[すぐ来い]と言い、元気になれば慢心して[一人でできる]と言う
父にちょっと腹を立てていた。
厚田に帰る道すがら、姉から電話が入った。

「お父さん、出先でまた転倒して救急搬送された。
あなたに連絡がつかないから第二連絡先の私に連絡が来た。
今日は搬送された病院に入院しているんで、
明日退院するのか入院続行か聞きに行ってほしい」
何ですと!! また転んだ!? 
一人で行くからと付き添いを断って、結局ケガした?
また明日も札幌往復!? 
心配よりゲンナリした。
厚田の市街地に出るだけでも車が必要な今のおうち。
車が1台のみの私たちは、札幌に行くとなると
私もダーリンも地元のお手伝いの仕事を休んで二人で行くことになるのだ。
また明日も休まなきゃならないのか・・・。

ひとしきり怒ったあとに、やっと心配する気持ちになってきた。
病院へ行くと言って一人で外出し、
病院からはるか遠いショッピングセンターにわざわざ行ってそこで転倒し、
あちこち血だらけで倒れているのを、
通行人が通報して救急車を呼んでくれたようだ。
転倒時に眉尻を切って2針縫合し、頭部MRIを撮って、経過観察入院らしい。
大ごとではないにしても、前回の転倒も影響しているかもしれない。

翌朝、ダーリンに運転してもらって救急搬送された脳外科に駆け付けた。
医師の説明では血腫があるが、今回の転倒が原因かは不明のため、経過観察するとのこと。
今回の転倒が原因ならば入院中に血腫が大きくなり、手術が必要になる。
以前の転倒が原因ならば血腫の大きさは変わらないので今後も見守ることになる。
更に問題が見つかった。
MRIの検査中に痙攣を起こしていたという。
数年前の脳梗塞の痕が影響して、てんかん発作を起こしていた可能性があり、
これまでの転倒も、もしかすると発作のせいで転倒していたのではないか、ということだ。
搬送されたのが脳梗塞の時と同じ病院で、前回と比較できるのはラッキーだった。

脳梗塞が軽く、その後の生活にまったく影響がなかったため気付きもせず
「やんちゃばかりしてまた転倒した」位に思っていたが甘かった・・・。


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父の退院 [父の介護]

入院中に血腫は変化しなかった、ということで父が退院できることになった。
この時の医師説明で、過去の脳梗塞起因でてんかん発作がでている可能性があり、
今後は抗てんかん薬を新たに服用することになった。
ひとしきり説明を受けた後、
「お父さんから何か先生に質問はある?」と水を向けると、
「まったくここの看護師は乱暴だ、全身が痛くて仕方がないのに扱いが乱暴だった」だと。
おいおい、意識朦朧で救急搬送されて、おむつまで替えてもらって、
さんざん世話になったのに、開口一番がそれかいっ!
まぁ、これが父の通常運転だ。回復しているということだろう。
実の所、搬送時は先週の自室での転倒の内出血や傷、
今回の縫合痕や目の周りの内出血など、ぼろぼろの状態だった。
それが、縫合した傷もきれいに塞がり、内出血も薄くなり、
応急処置してくれたあちこちの擦過傷なども驚くほど改善していて、
父の回復力の強さに驚いた。
父は憎まれ口をたたいたが、
これも病院の適切な対応のおかげと思うと、ありがたい限りだ。


高齢者住宅に戻ると、好き放題に散らかした部屋が汚くてゲンナリする。
ダーリンが台所を片づけてくれる間に施設長や訪問看護師と話をして、
立ち座りのサポート、右手が使えないことでの食事等の介助を
緊急的に追加していただくことにした。
転倒のケガをきっかけに、父は車いすを使わざるを得なくなった。
急におむつまで必要になった。
あんなに自由に一人で気ままにやっていた父が。
頭も口もしっかりしていて今までと同じようなワガママを言うが、
これからは、もう一人で出歩くことはできなくなるのかもしれない。
高齢者の転倒とは、かくも生活が激変するのだということを改めて思い知った。

来週は抗てんかん薬の影響診断のために再診することになっており、
今後の注意点を父に言い含めて札幌を後にした。
厚田への帰り道でちょっと買い物をしたころにはもう日没だ。
昼ご飯を食べる暇もなく、ぐったりして帰宅。


10日後には母の法事・墓参り・その後の温泉一泊いとこ会が控えている。
父の回復は間に合うだろうか。無理かもしれないなぁ。
室内はいいとしても、山の中の霊園では墓参りに参加するのは難しいだろう。
温泉一泊も自立してトイレで用が足せない状態では私たちの介助で事足りるとは思えない。
旅行好きな父は温泉一泊の外出を楽しみにしていたのになぁ。
姉と連絡を取り合い、
・自立できる
・トイレまで歩行介助すれば一人で用を足せる
まで回復することを条件に、ぎりぎりまで参加できるか見守ることにした。

今週は3回も札幌往復が続いてなんだか疲れてしまった。
むしろ、厚田に移住してからの方が父の顔を見る頻度が上がっちゃったね。


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体力は落ちつつ、気力は通常運転 [父の介護]

父の様子について施設から連絡が入る。
起き上がりが困難なので、電動ベッド導入へと変更になった。
私の代わりに姉がオムツなどの介護用品を、
車もないのにあちこち探しまわった上に、
徒歩でえっちらおっちら大量に運んで用意してくれた。

訪問看護師の指示で介助しやすい作務衣的な部屋着を購入してもらったが、
父が「要らないから返して来い」とワガママを言って振り回しているらしい。
介護する側から必要だからと指定してきているのに、
介護してもらっている本人が何を言ってるんだか。相変わらずだ。
次回の脳外科再受診までは姉が様子を見に行ったり用を足してくれるとのこと。
たったひとりですべてを背負わなくては、と思っていたが、
法事帰省のタイミングだったので分担して貰えて本当にありがたい。

毎日毎日、札幌通いが続いた上に、父のワガママに振り回されていたら、
きっと体力も気持ちも疲弊していただろう。


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脳外科再診 [父の介護]

厚田の天気は大荒れで、屋根に穴があきそうな勢いで大粒の雨が降る。
海岸の国道に出る手前で、正面に鋭い閃光が走る。
とほぼ同時に大きな雷鳴。
「めちゃめちゃ近い!こんな近くではっきり稲妻を見たのは初めてだ!」と二人で驚愕。
国道沿いのセコマに一時避難のつもりが、
入口までの2mを走り抜けただけでびしょ濡れだ。
店内には見知った顔が数人。(田舎あるある)
皆で「凄かったねぇ」と言い合っていると、
「レジの通信が落ちた」と店員さん。
停電はしなかったが、すぐ近くで落雷があった影響で通信が途切れてしまったようだ。
「電源は落ちていないので、立ち上がるまで少々お時間くださ~い」という
店員さんの声に、レジに並んでいた店内客同士で感想を言い合う時間がしばし。
こんな天候で札幌へ行くのは嫌だなぁ・・・どうか道中が穏やかな天気でありますように。


悪天候の中なんとか時間内に札幌に辿り着く。
「どの病院も近所だから、今の状態で車の乗降を繰り返すより車椅子で行ったら?」との
姉の助言通りに、施設からは車いすを押して病院に向かう。
厚田よりはましな天気だが、雨のそぼ降る中、車いすでの移動は
父だけでなく、押してくれているダーリンも辛そうだ。
頭部の縫合痕もキレイに塞がり、無事抜糸。
抗てんかん薬の副作用は
「眠気が強い」
「長く服用が続くと怒りっぽくなる」というものだが、
父の感触では特に副作用の症状は感じられなかったようで、
半錠での処方を通常量の一錠に変更し、
血腫の様子を確認するため次回の受診は1か月後となった。

かかりつけのクリニックで出す薬があと数日分のため、今日はクリニックの受診も必要だ。
全身の切り傷や擦過傷を診てもらうため父は皮膚科にも行きたいという。
もう今後は外出先で発作が起きる可能性があるため、付き添いなしでは通院もできないが、
私も頻繁に札幌往復していられないので、通院は一日にまとめたい。
脳外科での長い待ち時間のあと、施設の向かいにあるクリニックに行こうとすると、
父は「クリニックはいつでも行ける、とにかく皮膚科に行きたい」と拒否する。
「クリニックは午前中しか開いていないから今日行かないと常用している薬が足りなくなるの。
優先順位はクリニックだよ」と説明しても頑として聞かない。
「皮膚科は午後でもやってるんだから、午後でいいでしょう?
抜糸もしたし、クリニックで診てもらって内出血や擦過傷に問題がありそうなら
行けばいいじゃない?」と言っても、
「サークルの皆に挨拶しなきゃならない。2時からだから午後は行けない」と言う。
「私たちだって何回も札幌往復していられないよ、
付き添いができる時にまとめて回らせてよ」となかばイライラしてくる私。
もうこうなると父は後に引かない。
怒りを露わにして皮膚科に行く!と突っぱねる。
皮膚科はここまでの距離の倍あるのだ。雨の中これから車いすで往復するのは難儀だが
もう言う事を聞くしかない。険悪な状態のまま皮膚科に向かう。
「皮膚科は空いてるんだ、簡単だ」とブツブツ文句を言う父。
あにはからんや、皮膚科は混雑しており、
狭い待合室で車いすの父が待てる場所はトイレ前の空間か、
うすら寒い玄関だった。ああ、もう。
想像通り、すでにかさぶたになっている箇所はかえって触らない方がいい、ということになり、
父の昼食時間ぎりぎりまで待った挙句の診察は絆創膏を替えた程度だった。
また雨の中を車いすで施設まで父を送り届け、
調剤薬局をまわって再度薬を届けに施設に戻ったら、
父は自分が発案して始まったサークルに車いすのまま監督然として参加していた。


ダーリンに「お父ちゃんの面目が保たれた、ってことだね」と言われ、気が付いた。
父は具合が悪くて皮膚科に行きたかったのではなく、
打ち身や傷が生々しい状態の姿ではないよう処置してもらって、
このサークルに痛々しくない元気な姿を見せたかったのだろう。
あの頑なさはプライドだったんだね。
こういう部分も、汲み取ってあげなきゃなぁ、と思いつつ、
昼ご飯を食べる暇もなく二人してぐったりして厚田に戻ったのだった。


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ひとりで札幌へ [父の介護]

今日からはダーリンが漁師さんの経営する食事処でのお手伝いが始まる。
私のいちご収穫作業が終わってから、ダーリンを送って札幌に向かう。
姉と一緒に父の面会に行くのだ。
母の法事&一泊温泉旅行イベントの参加可否の最終判断をし、
無理なら楽しみにしていた父に、参加できない旨説得しなければならない。
事前にかかりつけ医から連絡を貰っている。
ドクターストップをかけるほどではないが、
介助がないと自立できないし、トイレも自分で用を足すのは難しいとのこと。
現状では一泊旅行はもとより、山の中での墓参りも
寒暖差や移動時間の長さを考えると難しいかもしれず、
法事参加が精いっぱいだろうとのことだった。
父は不参加を承知するだろうか。

途中、望来を通りかかると普段見たことが無いにぎわいになっていた。
今日は厚田ふるさと鮭まつりなのだ。
時間があったら地元の人たちの出店ブースに顔を出したかったが、
駐車場まで並ぶ長い車列を見て諦めた。
帰りに間に合ったら寄ってみよう。


姉とショッピングセンターで待ち合わせし、昼食を済ませてから面会に行った。
父は朦朧としており、声をかけると目を開けるものの、すぐ目を閉じてしまう。
話は聞こえていて、かかりつけ医の判断を話すと、
「全部不参加でいい」と言った。
前回の皮膚科の時のように頑なに拒否するのでは、と思っていた私たちは、
あっさり自ら不参加を言い出した父に拍子抜けすると同時に、
かなり具合が悪いのだと悟ったのだった。
抗てんかん薬が通常量になってから、極端に朦朧とするようになった父。
転倒前とは別人のようだ。副作用の眠気が強く出ているのか・・・。

介護ヘルパーさんから必要な物を指示され、買い出しに回っているうちに陽が傾いてきた。
老眼になってからすっかり夜の運転が苦手になった私は
とにかく日没前に帰りたい、と慌てて帰路についた。
途中通りかかった厚田ふるさと鮭まつり会場は、すっかり撤収が済んでいたので
結局おまつりには顔を出せなかった。
なんとか日没前に家にたどり着く。

どんよりと重い気分。


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急展開 [父の介護]

定山渓での一泊いとこ会の翌朝。
ダーリンは札幌での所用のため朝食後すぐに出立した。
私たちはチェックアウトまでゆっくりし、いとこ達は小樽でもう一泊、
私はダーリンと落ち合った後、父に面会してから厚田に帰る。

施設に訪ねていくと、訪問看護師さんが処置中だった。
父は痰が吐き出せず、血中酸素濃度が下がっていて、発熱もしているという。
声をかけても朦朧としており、痰が詰まって苦しそうだ。
看護師さんが色々父の姿勢を変えながら、
なんとか自力で吐き出させるよう奮闘してくれていた。
施設の真向かいにあるクリニックのかかりつけ医に連絡したが、
往診に出てつかまらないという。
ただただ見守るしかない私たち。15分位処置してくれていただろうか。

ある程度症状が落ち着いてから、
「肺炎の可能性があるため救急車で病院に搬送したほうがいい」と言われた。
救急車が到着し、車内に入ってから問診があったが、
痰を出させてくれた甲斐あって、その頃には血中酸素濃度が通常に戻り、
父の意識もしっかりしてきて、声が詰まりながらも返答ができるようになっていた。
発熱以外の問題がない状態で救急搬送はできない、と言われる。
まずはかかりつけ医の診察が先だとなり、
一旦乗せられた救急車から向かいのクリニックに降ろされ、救急車は帰って行った。
本来、午後は往診のため診察はしていないが、救急隊と施設からの働きかけで
なんとか緊急に診察して貰えることになった。
検査をし、要入院との診断があった上で再度救急車を呼ぶことになるのだ。

1時間以上待っただろうか。要入院との診断が下り、再度救急車が来て搬送された。
私は同乗し、ダーリンは搬送先に車でついて来てくれた。
初めて乗る救急車。
フロントガラスから見える見慣れたはずの景色、
何があったかと心配そうに見送る人の視線。
父に声を掛けながら、ああ、救急車の中からはこんな風景が見えているのか、と
頭の中はぼんやり違うことを考えていた。

搬送先ではクリニックからの連携情報から症状の検査・診断を行うだけでなく
感染症がないかどうかなど、入院に必要な検査も行うという。
二度の救急車内での問診、クリニックでの問診、そして受け入れ病院での問診。
父のこれまでの病状の経緯を4度も繰り返し繰り返しそれぞれに話し、更に問診票に記入して、と
同じようなことを何度もしていると何やらイライラも溜まってきてしまう。
ただただ長い待ち時間、ダーリンと二人、話もせずに待ち続けた。

おそらく誤嚥による肺炎だろうということだった。
入院受け入れ可能と決まってから、書面手続きし、
当面必要な品々を施設に取りにいったりと、バタバタと動き回り、
うすら寒い待機室で薄い病衣のまま寝かされている父に短時間面会して
無事入院手続きは終わった。
もう19時をまわっており、不安でどんよりとした空気のまま
真っ暗な道を厚田へ帰った。
気づいたら今日も昼ごはんを食べる暇がなかった。
ぐったりした身体、醒めた頭のまま、眠れぬ夜を過ごした。


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面会もままならぬご時世 [父の介護]

9/27、入院翌日。
姉がいとこ会から戻ってきて病院に連絡。
不足している必要品を用意するよう指示された。
面会は姉妹揃って必要品を持参しながらがよいだろう、という話だったようだ。
そんな訳で、私たちは今日も札幌往復だ。
午前中は3カ月待たされた光回線の開通工事があるため午後に出発する。
(光回線工事ネタは、すったもんだあったので後日改めて)
姉と落ち合い、介護用品の買い出しをして病院に行った。
ところが、コロナ対策のため病室には部外者は立ち入り禁止。
病室外に父を搬送して面会場所を別途用意するため、
面会は週に一度、しかも前日までに事前予約が必要で、
今日は面会できないという。
姉が連絡した時はそんな話ではなかったので、
面会できないならわざわざ厚田からくる必要もなかったのに、と訝しく思う。

入院時に短時間だけ待機所で会えた時、
「寒い」
「○○しますからと言ったのに放置したまま何もしてくれない、
看護師は嘘ばかり言う」と警戒し、心細そうにしていた父の顔が浮かぶ。
救急搬送されてから検査やら問診やら入院手続きやら、
次から次へと違う担当の看護師が対応し、
明瞭に声が出ない父との齟齬があるだろうことは簡単に想像がついた。
看護師詰所に必要品を届けて、次回の面会予約をしてから
施設の父の居室の掃除をすることにした。

施設もコロナ対策で面会に制限があるが、やはり病院とは制限のレベルが違う。
このご時世、面会もままならぬのだと改めて思う。

父が転倒で脳外科に入院してから2週間。
それまで自由に外出して自立した生活をしていた父は、
あっと言う間に車いす・おむつ生活になってしまった。
転倒さえなければ温泉旅行にも行けただろうにと思うと、展開の速さに驚いてしまう。
この2週間の寝たきり生活で一気に筋肉も落ちてしまって、
あんな痩せた身体で今後の回復は見込めるのだろうか。


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退院後の行先を探す [父の介護]

姉は自分の通院など名古屋での用事があるため、9/30には帰名する。
父の現状では退院しても もう自立して生活するのが前提の高齢者住宅には戻れない。
入院生活は最大でも3ヶ月。その間に次の行先を探しておかなければ。

病院のケースワーカーと相談し、系列の老人保健施設はどうかと提案をいただいた。
今日は姉と一緒に、老人保健施設の見学と説明を聞きに行くことになった。

入居していた高齢者住宅は、いわば食事がついた一般住宅に、
必要な介護サービスを追加したようなもので、自由度が高い。
(それでも父は入居当初は「監獄みたいだ!」と怒っていたが)
現在は入院中なので、あくまで回復して退院していくための生活で、制限も多い。
老健は、その中間のような所らしい。
個室はないが、私物を入れる収納もあり、イヤホンを使えばラジカセで音楽も楽しめる。
病衣で過ごすのではなく、私服を着て、皆と食堂で食事をし、
リハビリだけでなくリクリエーションなどもある。
そして何より、医師が常駐しているので、体力が落ちた父には最適ではないかと思われた。

姉と相談の上、退院後は老健に入居する方向で、ケースワーカーに調整をお願いした。
姉の帰名前に、医師からの病状説明があるとのこと。
9/28に姉と一緒に父に面会したあと、医師面談することになった。
3日連続での札幌通いかぁ。
仕方のないことではあるが、だいぶん私とダーリンの体力・気力も減ってきたなぁ。



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