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砂時計の砂が落ちるように [父の介護]

入院当初の誤嚥肺炎は回復した。だが、新たな炎症が出た。
ということは、また新たに嚥肺炎を起こしたということだ。
病院では、嚥下の機能が落ちた患者でも、できるだけ安全に食事が摂れるよう
「完全側臥位法」という、横になったまま食べ物を流しいれることで
気管への誤嚥が起こらないようにする方法で食事介助をしてくれていた。
それでも、誤嚥肺炎が起きたという事なのだ。
リハビリを経て専門医が嚥下機能改善の是非を判定したが、
自分の痰があっても咳き込みもしない、異物に反応しない状態になっているとのこと。

食事を摂取し続ける限り、誤嚥肺炎のリスクがあり、
肺炎を繰り返すごとに体力が奪われていく。
かといって、食事を摂取しなければ自身の身体を使って生命維持することになり、
これもまた体力が奪われていく。
どちらの方法をとっても、まるで砂時計の砂が落ちるように、
少しずつ少しずつ父の命は残り少なくなっていくことには変わりはないのだ。

話しは続く。
「口から摂取できなくても胃ろうという方法はあります。
肺が機能しなくなっても、人口呼吸という方法もあります」
それは、私達が望まない、延命措置だ。
「それを望まないのであれば、食事の回数を減らして、誤嚥肺炎のリスクを減らします。
ただ、回復が難しい場合、入院し続けるのは難しいので、老人保健施設や
療養型病院への転院となりますが、現状、完全側臥位法を行っている病院は殆どなく、
受け入れは難しいと思われます」

万事窮す。
食べることが大好きな父。
施設の食事が意に沿わなければ自分で作ってまで食べることを楽しんでいた父。
食べること自体が、生きることのリスクになるなんて。
「では、もう食事はできないということでしょうか」
「基本的にはそうなります。病院ではわざわざ誤嚥リスクの高い食事摂取を続けることは
肺炎の繰り返しにしかなりません。それはとりもなおさず体力を奪うリスクなのです。
でも、受け入れ先で、“お楽しみ”として週に一度程度、
果汁などを舌に載せて味わっていただく機会はあると思います」
ただ、肺炎という病状がある状態では転院受け入れはできない。
あくまでコロナ陰性で、転院許可が出せる位の病状回復があっての転院なのだ。

私達も落胆したが、父もショックは隠せなかった。
「食べられないって、そんな馬鹿なことがあるか」
私からも再度噛み砕いて説明する。
父にしてみれば、体調も回復して、つたい歩きもできるようになり、
明らかに回復に向かっていると実感しているなかでの死刑宣告のようなものだ。
しかも、その方針を承諾する、ということは
自らカウントダウンのスイッチを押すという事なのだ。


電話口の姉も、私も、延命措置は望まないという意志は伝えた。
ただ、少しでも父が最期まで楽しみながら生きてほしい、という希望はあり、
少量だったとしても、「食べられる楽しみ」がある生活をさせてほしいのだと伝えた。
極端なことを言えば、食べて誤嚥性肺炎で最期を迎えることになっても、
食べることに渇望して最期を迎えるよりは納得できるであろうと思っている、と。

父は病室に戻り、私達も帰路についた。
もうすっかり陽が暮れて、暗い道を無言で帰る。
ダーリンは父を思って泣いてくれていた。


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