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色々蠢いている [厚田の野生生物]

ここで時系列を無視してちょっと現状報告。
まだブログ内では冬が来ていないが、本日は3/2。
厚田は凄い嵐だ。
風が吹くたびに家が揺れ、外は久々に猛吹雪だ。

一週間ほど前から車庫兼物置に動物が棲みついた。
ダーリンが物置に行くと、姿は見えねど、どこからか威嚇する唸り声がするという。
物置で干していた魚目当てなのだろう、干物は干しあがる前に無くなっていた。
様子を見に行くたびに、どこからかガサゴソと蠢く音がする。
家の周りには色々と動物の足跡が発見できるが、
キツネもしくはタヌキ、ネズミ、シカなどだ。
だが物置の周りにそれらの足跡はない。
1ヶ月くらい前だろうか、一度、ステーションワゴン君のボンネットにフンがあった。
調べてもそれらのフンとはちょっと違うようだった。
が、今回棲みついた動物のはステーションワゴン君に残したモノより一回り大きい。
物置に毎日のお便り=フンを残す。
明らかに棲みついているのだ。
そしてボンネットにとうとう足跡が付いた。
子供の手形のような足跡。アライグマだ。

通りかかった顔役さんの奥様に相談したら、すぐ箱罠を持ってきてくれた。
途端に警戒して毎日のお便りが無くなった。
出て行ってくれたのか?と思ったが・・・
今日箱罠のフタが閉まっていた。・・・かかってしまった・・・。
複雑な気持ちだ。
週が明けたら役所に連絡して外来生物は処分してもらわなければならない。
あと一日、アライグマは物置の箱罠の中で過ごすのか・・・。

家の中でも壁の裏や天井裏でカリコリと音がする。
あまりに近い所で音がするので、ダーリンを呼んで懐中電灯で照らして見て貰ったら
「ネズミと目があった」という。
おうちの中でもかぁ・・・。
これも、嫌だけど対処方法を考えなきゃいけない。


わかってはいたのだ。こういう土地だと。
色々対処方法を考えねば。
入ってからではなく、こちらの居住区画に近寄れない対処方法を。
入れてしまったのはこちらの不注意なのだ。
ちゃんと住み分けて適切な距離感で居られるようにするのが、
この土地に住む者の務めだと痛感した。
呑気に暮らしてるだけじゃ、済まない事ってあるんだよな。

とりあえず、今晩はこの嵐のなか、
私達も、アライグマも、ネズミも、
嵐を凌げる屋根のある場所で過ごせることを良しとして心を落ち着かせよう。


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父なしで医師面談 [父の介護]

父は誤嚥性肺炎と回復を繰り返すたびに、やはり少しずつ弱っていっていた。
週イチの面会では元気そうな様子であっても、病床ではもっとぐったりしているらしい。
今回の医師面談は、同室者がすべてコロナ陽性になったため、逆隔離されている父を
同席させずに家族のみの面談となった。

老健への転院を11/13予定で進めてくれているが、
コロナの院内感染拡大を受けて、流動的な状況になっているという。
現状は先週の誤嚥性肺炎の発熱は治まったため一日一回の完全横臥位での食事らしい。
体力が徐々に落ちているため、高齢者はいつ呼吸や心臓の動きが弱まるか予断を許さず、
その際の人工呼吸や心臓マッサージを行わない場合、
そのまま病院で看取りとなる可能性もあるとのことだった。
父が同席していないこともあってか、いよいよ「看取り」という言葉が
頻繁に出るようになってきた。
延命処置を望まない場合、父の生殺与奪は本人と家族の手にある、と
突き付けられているのである。
姉と、「お父さんは病院から出ないぞ」と言っていたことを思い出し不安になる。
亡くなる前に予感めいたことを故人が呟いていた、というのを時々耳にするが、
まさか父は『病院から出られない』予感があるのでは、とイヤな想像が頭をよぎる。

もしもの事態になっても延命治療を望まないことを再確認し、面談を終える。
私たち家族は、父のカラダが寿命を全うし、老衰で逝ってくれることを望む。
あらゆる手を尽くして一秒でも長く生きてくれることよりも、
生き切って、燃やし尽くして、枯れていく様をしっかり見守ることを。
残念ながら一番大好きな『食べる』ということを奪われる、
つらい最期になるかもしれないが、それは私たち家族の責として受け入れよう。


父には面会できないが、介護用品と手紙と、TVカードを買うお小遣いを
看護師さんに託して、病院を後にする。
姉の手紙には「老健に移ったら食べられるようになるからね」と書いてあったが、
老健での対応は、『転院時の医師の判断に準じて対応を継続』と言われているので、
転院時に絶食対応中であれば老健に移っても絶食は続く可能性があるのにと思うと
私にはためらいがあった。無駄に期待させてしまうのではないかと。
でも、希望を持って闘病してくれるならその言葉は正しいのかもしれない。
色々揺れ動く。何が正解かはわからない。
こうして父に何が一番良いのかを思い悩むことが正解であってほしい。


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イチゴの片づけ [移住地に馴染む足ががり]

11/1。久々にイチゴ農家さんからお誘いが入る。
イチゴの片づけに人手がいるけど、手伝える?と。
やった! 久々に土に触れられる!
そろそろお米も底をつきそうなので、令和4年度産のお米の在庫があれば
買いたい、と申し出た。が、すでに全部新米に切り替わっていて購入できなかった。
うちは「なんちゃって神道」なので、たいしたことはしていないのだが、
神様と一緒に新米を食べる新嘗祭までは、新米はガマン、なのだ。
もうトドックも新米に切り替わっているので、札幌に行った際に探してみよう。

さて、イチゴ片づけは地元の方々、いつも札幌から応援に来てくれるお馴染みの面々、と
10人ほどのお手伝いが駆けつけて、わいのわいのと進められた。
イチゴ苗を撤去する際に、まだ赤く実をつけているものは
収穫して持ち帰っても良いのだとか。
ずいぶん疲れた感じにはなっているが、一生懸命実を結んで、
まだまだ蕾もあって花を咲かせているイチゴたちが愛おしい。
真っ赤に色づいたものだけでなく、まだ白いイチゴが冷蔵庫の中でどれくらい経てば
色付くのかの観察も兼ねて、色づいていないイチゴも少し混ぜていただくことにした。

苗の撤去が済んだら、水のチューブを撤去し、苗の棚を隅に寄せて、
中の用土をハウスの外に運び出す。ブロック状になった用土を別の場所に運ぶために
フォークリフトに煉瓦積みのように重ねていく。
すべて初めての作業のため右も左もわからないが、慣れた人が指示を出してくれて
次第にスムーズな流れ作業・分担作業に移行していくのも面白かった。
とにかく皆さん、なんでもできるし手際がいいのが気持ちいい。
こうして身体を動かす仕事って、いいなぁ。

百姓という言葉はTVで使っちゃいけないらしいが、
百の姓(かばね)=万民のことでもあり、
百の仕事ができる、という意味だと聞いたことがある。
田を作り、畑もする。冬は漁にも出、保存食を作り、時には修繕をし、
縄を綯い、籠を編み、木工を行い、道具の手入れをし、と仕事は多岐にわたる。
それらすべてを行える人が百姓なのだと。
差別用語どころか、私は憧れと尊敬で目がキラキラしちゃう言葉だよ。
この土地に移り住んでから、本当に、厚田の農家さんたちは
百の仕事ができる、現代版のお百姓さんなのだと、ほれぼれしているのである。


たくさんのイチゴのお土産を持ってゴキゲンで帰宅したら、病院から電話が入った。
父がコロナ陽性に転じ、治療を開始し、
しばらくは隔離対応のため面会ができないとのこと。
そう来たか~。
せっかく姉が半月超の滞在をして父のことをフォローしてくれる体制になったのに、
その半分以上の日程は面会禁止かぁ。
姉が居てくれるうちに老健への転院や施設の片づけを一気呵成に進めたかったが、
結局姉が帰った後にそれらがずれ込む可能性が出てきた。
正直、吹雪く季節になったら今のように足繁く札幌通いをするのは難しい。
どうすりゃいいんだ・・・。

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父からの電話 [父の介護]

姉が厚田滞在中も何度か父から電話が入った。
あいかわらず何を話しているのか聞き取れない。
「何か足りないの?」「TVカード、もう無いのかい?」
とか色々聞いてみるが、YESかNOかもよくわからない。
そのうち、諦めたのか癇癪をおこしたのか、電話は切れる。
私では通じないと思ったか姉にもかかるが、やはり同じで、最後はブツッと切れる。
「コロナで面会禁止だから、解けたら会いにいくからね」としか言えない。

その間も銀行振込や施設の片づけなどで札幌通いは続く。
姉は3日滞在した後、札幌に宿泊して物件探しや施設片づけに奔走している。
次の入居者さんが使えそうな家財は施設に譲るなど相談し、
父の一番のこだわり、大型TVは施設に譲って、かかわりのあった人たちが
楽しんでくれたら父も嬉しいかねぇ、なんて話しながら三人で片づける。
それにしても、この施設に転居する前の実家片づけでは随分荷物を少なくした筈だが、
たった一年半で洋服も靴も、こまごまとした雑貨類も、こんなに増えるものなのか。
押入れもパンパン、キッチンもベッド周りもゴチャゴチャだ。
1DKのコンパクトな住まいの中で、老健に持ち込めるトランク1個分の衣類と
段ボール1個分の雑貨程度しか、今後の父の生活には必要ないものになってしまった。
実家片づけは2度目と言えるが、今回の片づけは
回復の希望がない片づけなのが、なんともやるせない。

分別したゴミは施設にゴミ出しをお願いし、
レンタルしている介護用品の撤収の手配をしたら、
あとは姉の札幌住まい用の荷物と、老健に持ち込む荷物だけになるだろう。
処分場に持ち込むゴミはうちのステーションワゴン君に積み込めば、
なんとか片付きそうだ。


そんなこんなで、姉の札幌住まい用の荷物と処分場に持ち込むゴミを満載して
姉の厚田滞在第二弾のため3人で厚田に帰る途中のことだった。
札幌市内は穏やかだったが、やはり石狩川を渡った頃から天気が変わってきた。
望来の海岸沿いから吹雪になった。
ヘッドライトが当たるとかえって視界が遮られるほど、
こちらに向かって襲いかかるような雪。
いつもなら眩しくて一瞬目つぶしを喰らうような対向車のヘッドライトが、
むしろ見通しを確保してくれてありがたい。このタイプの吹雪は初めてかも。
厳しい海岸沿いの吹雪に晒されながらなんとか厚田に辿り着くと、
結構な積雪になっていた。
山に向けて進むほどに風は穏やかになってフワフワの雪道になり、
あと10分ほどでおうちに着こうかという時に、電話が鳴った。
父からだった。

「助けてくれ! いますぐ迎えに来てくれ!」
あんなに聞き取れない喋り方だったのに、はっきりと。


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厚田の冬の始まり [厚田の風景]

しばらく更新が開いてしまった。
父の最期の頃を思い出そうとしても、一行程度のメモしか残していないし、
記憶も時系列も、頭の中がごちゃごちゃだ。
どうしても筆が重くなってしまうので、気分が持ち直すまで
11月の厚田生活について、つらつらと書いていこう。

姉の滞在中に、初めて一面の雪景色になった。
「雪かきアクティビティ~」とか言いつつ姉にも体よく雪かきを手伝って貰った。
銀世界になってしまったので、ビニールトンネルの下で頑張っていた小カブも
直径3cm程度で収穫して終了、とあいなった。
初除雪車出動も11月だった。
すごいのは、その速度。殆ど普通車と変わらない速度でガァーッと通り過ぎていく。
都会の札幌と違って、民家は多くないし、必ず駐車場があって道路から奥まっているので
高速除雪でガァーッと薄く飛ばして行くのだ。
結構マメに除雪が入ってくれて、札幌の住宅街の除排雪が難しい場所よりも
ずっとずっと走りやすい道路になってくれる。

父がらみで札幌通いをしていたある日の帰り道。
札幌は晴れていたものの、石狩川を渡ると例のごとく雲行きが怪しくなってきた。
まだ陽は沈んでいなかったものの、
望来、古潭、と進むうちに積雪状態になり、
あたりが薄暗くなってきた頃にやっと厚田に戻った。
厚田から道道月形厚田線に曲がるとすぐ目に入る、
「夜間は除雪しません」という標識がいつも気にはなっていたが、
その意味が今回わかった。
夕方以降に降る雪は、除雪が入らず朝までただただ降り積もる、ということだ。
発足までの道はふかふかとした雪が15cmほど積もっており、
前に走ったであろう車の轍もふんわりなだらかに覆われていた。
夕刻になってからは地元の人は外出していないのだろうことが簡単に想像できた。
おうちに着くと、駐車場はそのまま入れないほどの状態になっていた。
長靴など履いていなかったので、ズボズボ埋まりながら、おうちに入り、
ステーションワゴン君はその日から物置車庫に収まることとなった。

すでにストーブは稼働していたが、夜は焚きっ放しになった。
お気に入りの当別のノルトエッセンさんのパンも雪が融けるまでの冬季休業に入る。
ダーリンのお仕事も、飲食店は秋口までで、
寒くなってからは漁で揚がった魚の網外しのお手伝いをたまにするくらい。


僕らの厚田生活は、すっかり冬籠り体制に入った。
何より、発足は穏やかであっても、厚田の海沿いは「降る=吹雪く」ようになった。
1階の窓が隠れてしまうほど積もるという、発足の冬。
お手柔らかに、と思いつつも、初めての冬に畏れ半分、躍る心半分。
いよいよ冬の始まりだ。


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Beatbox沼にハマって

TVを処分して久しい。もっぱらPCで動画を見ている。
2年ほど前にYouTubeでHumanBeatboxというものに出会った。
昔、ハモネプという番組でアカペラブームが起こった時、「ボイパ」として知ったが、
HumanBeatboxとして認識したのは2年前だった。

たちまちハマってしまった。
パーカッションだけでなく、口だけであらゆる音を表現し、
たった一人だけでリズムからメロディーからをこなして演奏するのが、
もう単純に、不思議すぎて信じがたい。
そして、色々見聞きうちに、
「人のカラダの構造はそれぞれ違うので、同じやり方でも同じ音は出ない」
「どんなにうまい人でも、出せない音があったりする」
という、まさに「ヒューマン」ビートボックスだと聞いて、ますます魅力に憑りつかれた。
人によって、金属音に近かったり、柔らかかったりと音の質が違うし、
生みだすリズムも、ビートのうねりも違っていて、
本当にその人だけの音を、生身のカラダを使って演奏しているってのが、すごく好き。
極端な話、たとえば電気のない山の中だろうとも、
カラダひとつあれば、アカペラやビートボックスは音楽を生みだせるって、凄くないか。

で、もともとストリートカルチャーなので、ダンスやラップのように
バトルというものがある。
まぁ、私はそちらジャンルは苦手なので、バトルは敬遠していたのだが、
動画を色々掘っていくと、バトルも面白かったのだ。
なんといってもお互いに対するリスペクトがあり、とても平和なバトル。
その人にしか出せない音に、対戦相手も驚嘆し、称賛しているのが画面から伝わる。
対戦後にHUGしあう姿も、「Beatboxerは誰もがbrother!」と
称えあっているのがその笑顔からわかる。
ああ、素敵な世界を知ってしまった。
沼にハマってからは私のPCからBeatboxが流れない日はなくなった。


2023年はその最大級の世界大会、GrandBeatboxBattle(通称GBB)が
なんと日本で行われ、普段から聴いている日本人beatboxerも多数出場するので
とても楽しみにしていたのだが・・・
開催は10/18-10/21までで、
残念ながら大会が終了するまでにネット開通はならなかった。
ラジオではBeatboxの曲が流れたのは4ヶ月でただ一度だけ。
4ヶ月間、Air-Gの昼番組で流れる、
SHOW-GOさんのBeatboxによるジングルだけが私の蜘蛛の糸だったのよ。
あと一週間早く開通してくれればGBB2023もリアルタイムで楽しめたのになぁ。

そんなこんなで、今日もおうちではBeatboxが流れている。
いつか、BeatboxをLIVEで体感できたらなぁ。
いつか、SHOW-GOさんの生音を聴けたらなぁ。
そんな妄想をしながらニヤついているのである。
Beatbox、最高!


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美しい雪 [厚田の風景]

アスファルトに積もった雪はすぐ融けるが、野山や田畑の雪は白いまま。
雪が降るたびに、棚田のように段差がある田んぼも少しずつ段差が目立たなくなっていき、
今はほぼ、なだらかな雪原になった。
山の木々に積もる雪は、朝は粉砂糖をかけたように可愛らしく化粧をし、
陽が高くなるにつれ枯れ色に戻ることを繰り返す。
時間によって山の色も、空の色もどんどん変化していくのが
毎日見ていても、本当に見飽きない。

朝起きると、15cmほど雪が積もっていた。
札幌に居た頃は「わぁ、15cmも降った!」と大騒ぎしていたが、
冬の始まりでしかない今でも、「発足の通常運転」と思うようになった。

関節炎持ちの私でも、柄を握るだけの雪かき作業はまったく痛くないので、
雪かきは苦にならない。
ひざ下まで高さのある長靴を買ってからは、ちょっと深い雪もへっちゃらだ。
というわけで、今日もわしわしと雪かきを始める。
雪の晴れ間で、目つぶしを喰らうほどの眩しさの中、スコップを動かすと、
積もった雪の奥が、青い!
おお!? 映像で見たことがある、氷河が崩れる面のあの青さだ!
ここは氷河ですか!?
うわ~、もうこうなるとスコップを刺すだけで楽しい。
なんで、こんなに美しいんだろう!?
札幌で雪かきしてもこんな色を見たことが無い気がするが、何が違うのかな。


すっかりキレイに雪かきが終わったが、2台分の駐車場はなかなか作業量が多い。
ほかほか蒸気が上がりそうなくらい汗びっしょりだ。
庭木の冬囲いは簡単に縄でくくろうか、なんて思っていたが、
数回の雪で、あっという間に庭は雪深くなってしまい、背の低いツツジたちは
こんもりしてはいるものの、すっかり埋まってしまった。
ウッドペッカーの庭木は根元だけ積雪がないが、
枝が雪の重さで折れてしまわないように枝下を雪で支えてみようかと思い
根元を覆うように雪を放りこんでみた。
でも、このプランは駐車場から庭木までの距離を雪かきしなければならないし、
枝が傘になって根元は雪が積もらないので、どんどんウッドペッカーの周囲が
高くなっていき、放り込めなくなってきてしまった。
けっこう無理があるプランだと気づく。仕方ないが積もりっぱなしで冬越しをしよう。

裏の原野の笹も随分低くなったなぁ。
このまま全部覆われて、ずんずん窓を塞ぐまで積もっていくのかしら。
雪原に立つ白樺の幹が美しい。
枯れ色の暗い風景だったのが、雪景色になるだけでこんなに美しいのかぁ。
厚田に住んで、毎日この風景が見られるって、
凄く贅沢だなぁ。

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今年最後のノルトエッセン [厚田の風景]

冬季休業に入る前に、ノルトエッセンさんにパンを買いに行くことにした。
山ひとつ越えた当別は、どんな風景なんだろう。
道道月形厚田線の道路状況はどんなだろう。
ちょっと探索をかねて走ってみようね。

今朝も雪はわしわし降っていた。
おうちから見渡せる発足の山々は、木々にこんもり積もった雪で
稜線が白くぽこぽことしていた。
まださほど気温が低くないので、着雪しやすい湿り気のある雪だということがわかる。
峠道はしっかり除雪されていた。除雪隊のみなさん、ありがとう~!
とはいえ、登るにつれて積雪量は平地に比べて少しずつ深くなってくる。
木々にはもろもろと団子状に雪がくっついて、寒そうに立っている。
あれ、この風景、まるで樹氷みたい。
「いやぁ~、さすが本場八甲田の樹氷はキレイですなぁ」
「ここは厚田ですからっ」とお決まりのボケツッコミをしながら、当別側に下りた。

峠は発足より幾分雪深かったが、下りてみると当別側も発足と同じくらいの積雪量だ。
ふくろう湖に続く山あいの道沿いは、白く柔らかく雪に覆われて
晩秋の色に比べるとなんだか優しい表情だ。
市街地に向かう平地になると、同じ雪景色でも厚田と比べるとなんだか穏やかな表情。
やっぱり内陸なんだなぁ。厚田だと海に近づくほどに、地形も木々の様子も
なんとなく荒々しさが感じられるんだよな。強い風のせいなのかな。
厚田のそんな風景が大好きで、毎日新鮮に「キレイだなぁ」と感動しているのだが、
盆地育ちの私としては、当別の内陸らしい風景もなんだか落ち着く。


ノルトエッセンさんに着く。
発足よりは積雪が少ないが、もうお庭はあちこち雪に覆われていた。
きっと今年最後の訪問になるだろうから、
パンを買うだけでなくカフェで休ませてもらおう。
「山向こうは雪はどうなのかしら」
「あ、この間、初除雪車が走りましたよ」
「まぁ! やっぱり向こうの方が雪が多いのかしらね。こっちはまだだもの」
なんて話しながらコーヒーを淹れていただき庭に面した大きな窓の前に座る。
ポータブルストーブに火を入れてくれると、おとなしく潜んでいたカメムシが
どこからともなく2匹、這い出てくる。
あれあれ、あんたたちもコーヒータイムに参加したいのかい。
ふと見ると、お店の隅の床に「カメムシぽっとん」が置いてあった。
ここのような樹脂サッシだと虫の侵入が少ないんじゃないかと憧れていたのだが、
やっぱ、背後に山がある場所は同じなんだなぁ、と諦めのような、安心したような気分。

窓の外のウッドデッキにシジュウカラが来る。
ガラス越しだとこんな近くに見ることができるんだなぁ。グレーの羽色が凄くキレイだ。
動物やら虫やらの話になる。
「この屋根の上をシカが歩いてたこともあるのよ」
ひょえ~。
この建物は山裾の斜面を背後に控えているから、雪が降ったりすると飛び移れるのか。
自分たちのおうちはどうだろうか。周囲はぐるりと平たくなっているから、
さすがにおうちの屋根の上を歩くことはないだろう。・・・いや待てよ、
窓を塞ぐほど積雪があるとすれば、1階の屋根なんて簡単に歩けるのでは?
里山移住の大先輩でもあるノルトエッセンさんのお話は面白かった。

夕刻にお店で今年最後のライブがあるそうで、
店主さんも奥から出てきて席の準備が始まった。
ずっと買いたかったいちじくのパンも買うことができて、
シアワセな気持ちでお暇した。
春まではここのパンともしばしのお別れだけど、
これも春を待つひとつの楽しみになるね。


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室内の防寒対策 [初心者DIY]

おうちには窓がたくさんある。
古いアルミサッシの窓で、長年の雪に晒されたというのもあるのだろう、
建物側か、サッシ側なのか、歪みが出てしまい、閉めても隙間が出る窓がある。
たとえ歪みが無くても、サッシってレールが通る内側部分は空間になっているし、
決してアルミサッシ枠に密着している訳でも無いので、窓は冷気の入口なのである。

静かに雪が降るだけでも充分寒いが、吹雪くとサッシの内側に雪が吹き込んで溜まる。
いや~、久々に見たなぁ、窓ガラスに見事な氷紋が浮かぶのを。
こりゃあ寒い訳だ。

虫の侵入経路を少しでも塞ぎ、外気温との差を少しでも緩和すべく、
プラ段で内窓を作ろうかと思ったが、
「貧乏くさくて嫌だし、冬も換気のため窓を開けたい」と言う
ダーリンの反対に遭い、違う方法をとらなければ、となった。
とはいえ、いずれは雪に埋まってしまう窓なんだよね? 開けられないよね?
片側だけ開けば充分だよね?
という訳で、1階の窓の一部は半分だけ外からプラ段を貼り付けてみた。
網戸がついている窓は、網戸の隣にプラ段を貼って、網戸が動かないように固定。
開く方の窓が収まる戸袋状になったので、ちょっとは断熱の役割を果たせるかも。
実際、プラ段を貼り付けた側の窓ガラスは氷紋ができなくなった。

サッシの隙間には発砲スチロール系のシール材を挟み込んで、
虫の進入路を少しでも狭くしつつ、隙間風の軽減を図る。
でも、開ける側には挟み込めないので、まぁ、これは気休め程度の効果か。

一番大きなサンルームの窓は、高さも幅もあるので、
引越当初から合うカーテンが無かった。
ベッドに掛けられるくらいの大きなマルチカバーを持っていたので、
それをカーテン代わりに架けて急ごしらえしていたままだ。
薄い1枚布なのであまりに寒く、
サンルーム側からいつも冷気がじわじわ攻めて来ていた。
ビニールの断熱カーテンを足してみたら、ちょっと寒さが和らいだかも。
あとは内側から隙間テープで窓周りを縁取って、ついでに
リビングの入口や隣の部屋との境にある扉周りも隙間テープで防御。

動いているうちはいいが、なんといっても寝ている時が寒い。
布団から出ている頭部が寒くて、寝付いたあとに、鼻の頭の冷たさで眼が醒めたりする。
まぁ、寝室の木枠の窓一枚隔てた向こうは氷紋が出ているんだから、そりゃぁ寒いよ。
そもそも、札幌の頃のおうちはセントラルヒーティングで冬も暑すぎたため、
冬布団は毛布しか持っておらず、今のおうちでは毛布と肌布団を重ね掛けしても寒いのだ。
そんな訳で、やむにやまれず『吸湿発熱素材の掛布団』を新調してみた。
するとどうだろう。毛布1枚とその掛布団だけで、
寒くて寝付けない、てことが無くなった。
さらに、吸湿発熱素材の毛布でできた、布団カバーというのも入手した。
暖かくなったら、掛布団を出して布団カバーのみにすれば
2枚合わせ毛布としての使い方もできるんですと!
いやぁ、使ってみてビックリ、
この布団カバーをかけた掛布団1枚だけで、ぽっかぽか! 凄いね、新素材!
驚いたことに、寝具を替えたことで、夜中にトイレに起きることが少なくなった。
てことは、寝ながら冷えてたんだね~。
寒いと眠りが浅かったんだってことも、替えてみて初めてわかった。
いやぁ、睡眠時の暖かさって、大事なんだなぁ。

布団を替えて暖かくなった、と上機嫌の私に、ダーリンが言う。
「低反発枕って、寒いとカッチカチなんだよなぁ。しかも、枕の下に手を入れると、
冷たいっ!ってビクッとなるよ」
確かに。 夏に「頭が暑い」からと切望して買った私のそばがら枕も、
冷たい空気をよく通して、頭と肩口が冷え冷えなんだよなぁ。

防寒対策、と言いつつ、根本的な問題はな~んにも解決していない。
例えれば、雨漏りのしずくが垂れるところにバケツをあてがっているような対策。
でももう、雪が降っちゃったんだもの。
あがくより、あてがおう。(笑)


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姉が名古屋に戻る前に [父の介護]

さて。父がらみの話が随分と後回しになってしまった。
ちょっと時系列が前後したりあやふやになっているところもあるが、振り返ろう。

11/11に姉とともに厚田に帰る途中に「助けてくれ」と電話が入って以来、
父には面会することもできず、ただただ待機、という状態だった。
とはいえ、私達は毎夜晩酌しながら厚田メシを楽しみ、普通に生活していた。
2階の部屋は多少虫が這い出して来ることを気にしなければ泊まるのには支障がなく、
姉も「もっとすごいところかと思ってたけど、全然大丈夫じゃないの」と言ってくれた。
父のことが頭から離れないものの、姉と過ごす数日はいつもとは違った楽しさがあった。
でも、姉は自分の通院もあるため11/16には名古屋に戻らなければならない。
姉が居てくれるうちに、なんとか老健に転院して、施設も片づけて、と言う予定は
もう無理になってしまった。

11/13。医師面談のため、三人で札幌に向かう。
病院に行ったとて、11/14まではコロナ対応で面会禁止のため父には会えないのだが。

面談では、以下のような説明を受けた。
・コロナについては短期間で解熱し、酸素投与も不要な状態で治癒した
・しかし11/8に再び発熱、誤嚥性肺炎によるものと診断
・一時的に酸素投与も必要になり、喀痰も増加
・治療により現在は再び落ち着いている状態 ・・・とのことだった。
老健への転院は一旦延期となったが、病状が落ち着いてきたので再調整をする方向。
父の病状は発熱を繰り返す中、さらに一段階進んだ印象で、薬の服用も難しい。
点滴によって薬の投与と水分補給を行っているが、もう針を刺すのも難しくなってきており、
点滴も難しい場合は皮下点滴に移行していくが、それも限界がある。
残された時間の予測は難しいが、最期の時は以前よりも近づいてきており、
病状によっては病院での看取りの可能性もあるかもしれない、とのことだった。

この説明ですべて合点がいった。
コロナ回復後の誤嚥性肺炎以降は摂食も薬の服用も、その時に飲めたであろう水も、
もう口からは摂れなくなってしまっていたということだ。
食事も水も与えられない状態で、11/11に「助けてくれ」の電話が入ったんだね。
本人には納得できない状況だったんだろうな。
病院としては経口摂取=誤嚥性肺炎に直結という状態なので、
口の渇きについてはガーゼに浸みこませた状態で水分を摂れるように
対応していくとのことだった。


施設の片づけをして、11/20に姉の友人に手伝って貰って冷蔵庫さえ搬出すれば
あとは厚田に持ち帰ったり施設にゴミ出しをお願いすればいいだけの状態にした。
いったん皆で厚田に帰る。
姉は11/15には名古屋に向かうが、当日に厚田の天候が荒れて移動できなくなるのが怖いので
出発前日は札幌に泊まる、というので翌朝JRあいの里学園前駅まで送った。


姉は父の介護のために部屋を借りて札幌に住んでもいいと言ってくれたが、
住居も決まらず、このままでは借りるより先に父が最期を迎えてしまうかもしれない。
だから今回はいったん札幌に住むプランは白紙に戻そうということになった。
もうカウントダウンは始まってしまったのかもしれない。


姉は11/15に無事帰名したが、医師面談時にもケースワーカーとの電話でも
「姉は11/15にはもう帰らなきゃならないんです」と訴えていたのが効いたのか、
なんと帰る前に面会できたそうだ。
確かに弱って更に痩せていたが、眼光もしっかりしていて、
声は出せないものの身振りで意思表示もしっかりできていたとのこと。
良かった。 せっかく来てくれたのに、たった一度しか会えないんじゃあんまりだった。
父も姉の顔を見て少しは安心してくれただろうか。


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