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イチゴの片づけ [移住地に馴染む足ががり]

11/1。久々にイチゴ農家さんからお誘いが入る。
イチゴの片づけに人手がいるけど、手伝える?と。
やった! 久々に土に触れられる!
そろそろお米も底をつきそうなので、令和4年度産のお米の在庫があれば
買いたい、と申し出た。が、すでに全部新米に切り替わっていて購入できなかった。
うちは「なんちゃって神道」なので、たいしたことはしていないのだが、
神様と一緒に新米を食べる新嘗祭までは、新米はガマン、なのだ。
もうトドックも新米に切り替わっているので、札幌に行った際に探してみよう。

さて、イチゴ片づけは地元の方々、いつも札幌から応援に来てくれるお馴染みの面々、と
10人ほどのお手伝いが駆けつけて、わいのわいのと進められた。
イチゴ苗を撤去する際に、まだ赤く実をつけているものは
収穫して持ち帰っても良いのだとか。
ずいぶん疲れた感じにはなっているが、一生懸命実を結んで、
まだまだ蕾もあって花を咲かせているイチゴたちが愛おしい。
真っ赤に色づいたものだけでなく、まだ白いイチゴが冷蔵庫の中でどれくらい経てば
色付くのかの観察も兼ねて、色づいていないイチゴも少し混ぜていただくことにした。

苗の撤去が済んだら、水のチューブを撤去し、苗の棚を隅に寄せて、
中の用土をハウスの外に運び出す。ブロック状になった用土を別の場所に運ぶために
フォークリフトに煉瓦積みのように重ねていく。
すべて初めての作業のため右も左もわからないが、慣れた人が指示を出してくれて
次第にスムーズな流れ作業・分担作業に移行していくのも面白かった。
とにかく皆さん、なんでもできるし手際がいいのが気持ちいい。
こうして身体を動かす仕事って、いいなぁ。

百姓という言葉はTVで使っちゃいけないらしいが、
百の姓(かばね)=万民のことでもあり、
百の仕事ができる、という意味だと聞いたことがある。
田を作り、畑もする。冬は漁にも出、保存食を作り、時には修繕をし、
縄を綯い、籠を編み、木工を行い、道具の手入れをし、と仕事は多岐にわたる。
それらすべてを行える人が百姓なのだと。
差別用語どころか、私は憧れと尊敬で目がキラキラしちゃう言葉だよ。
この土地に移り住んでから、本当に、厚田の農家さんたちは
百の仕事ができる、現代版のお百姓さんなのだと、ほれぼれしているのである。


たくさんのイチゴのお土産を持ってゴキゲンで帰宅したら、病院から電話が入った。
父がコロナ陽性に転じ、治療を開始し、
しばらくは隔離対応のため面会ができないとのこと。
そう来たか~。
せっかく姉が半月超の滞在をして父のことをフォローしてくれる体制になったのに、
その半分以上の日程は面会禁止かぁ。
姉が居てくれるうちに老健への転院や施設の片づけを一気呵成に進めたかったが、
結局姉が帰った後にそれらがずれ込む可能性が出てきた。
正直、吹雪く季節になったら今のように足繁く札幌通いをするのは難しい。
どうすりゃいいんだ・・・。

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父なしで医師面談 [父の介護]

父は誤嚥性肺炎と回復を繰り返すたびに、やはり少しずつ弱っていっていた。
週イチの面会では元気そうな様子であっても、病床ではもっとぐったりしているらしい。
今回の医師面談は、同室者がすべてコロナ陽性になったため、逆隔離されている父を
同席させずに家族のみの面談となった。

老健への転院を11/13予定で進めてくれているが、
コロナの院内感染拡大を受けて、流動的な状況になっているという。
現状は先週の誤嚥性肺炎の発熱は治まったため一日一回の完全横臥位での食事らしい。
体力が徐々に落ちているため、高齢者はいつ呼吸や心臓の動きが弱まるか予断を許さず、
その際の人工呼吸や心臓マッサージを行わない場合、
そのまま病院で看取りとなる可能性もあるとのことだった。
父が同席していないこともあってか、いよいよ「看取り」という言葉が
頻繁に出るようになってきた。
延命処置を望まない場合、父の生殺与奪は本人と家族の手にある、と
突き付けられているのである。
姉と、「お父さんは病院から出ないぞ」と言っていたことを思い出し不安になる。
亡くなる前に予感めいたことを故人が呟いていた、というのを時々耳にするが、
まさか父は『病院から出られない』予感があるのでは、とイヤな想像が頭をよぎる。

もしもの事態になっても延命治療を望まないことを再確認し、面談を終える。
私たち家族は、父のカラダが寿命を全うし、老衰で逝ってくれることを望む。
あらゆる手を尽くして一秒でも長く生きてくれることよりも、
生き切って、燃やし尽くして、枯れていく様をしっかり見守ることを。
残念ながら一番大好きな『食べる』ということを奪われる、
つらい最期になるかもしれないが、それは私たち家族の責として受け入れよう。


父には面会できないが、介護用品と手紙と、TVカードを買うお小遣いを
看護師さんに託して、病院を後にする。
姉の手紙には「老健に移ったら食べられるようになるからね」と書いてあったが、
老健での対応は、『転院時の医師の判断に準じて対応を継続』と言われているので、
転院時に絶食対応中であれば老健に移っても絶食は続く可能性があるのにと思うと
私にはためらいがあった。無駄に期待させてしまうのではないかと。
でも、希望を持って闘病してくれるならその言葉は正しいのかもしれない。
色々揺れ動く。何が正解かはわからない。
こうして父に何が一番良いのかを思い悩むことが正解であってほしい。


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