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終の棲家 [父の介護]

父が搬送されたのは、職員詰所の真向かいの、個室だった。
老健は高齢者施設と病院の、ちょうど中間的な感じで、
人員は少ないながらも看護師常駐、担当医師が巡回している。
病院ほどコロナ対策の縛りがきつくなく、
外来者がきちんと手洗い・消毒を励行して職員の許可を得れば、自由に面会可能だ。
しかも、父の場合は看取りを前提とした緊急時でもあるため、
個室にはソファがあって、夜通し付き添うことも可能だということだった。
洗面台や専用トイレもあるので、
付添いの私達も気兼ねなくこの部屋だけで色々と完結できるわけだ。

ダーリンと二人で施設から運んできた老健で使う荷物を、ロッカーやチェストに収め、
9/26の救急搬送以来、聴くことができなかったラジカセを設置した。
次から次へと職員さんや看護担当者さんや嚥下を診てくれる専門看護師さんが
顔を出してくれて、早速オムツ替えと着替えに取りかかってくれた。
入院時の病衣を着たままで移送されたので、父のパジャマに着替えさせてくれたのだ。
病衣を脱いだ父の身体は更に更に痩せ細って、亡くなる直前の母の姿と重なった。
絶食して20日程経つのだから、父は生きるために自分のカラダを費やして
生命を維持しているんだなぁと切なくなる。

ひとしきり片づけ作業をして、窓の外を見ると、
父が終の棲家だと思っていた施設が、道路を挟んで真向かいに見える部屋だった。
「お父さん、施設が真向かいに見えるよ。慣れ親しんだ場所に帰ってきたね」
「お姉ちゃんも冬支度してまた来てくれるって言ってるからね」
と声を掛けると頷いてくれた。少しは安心してくれただろうか。

音量が大きくなければイヤホンを使わずに音楽を流してもいい、とか
壁にも思い出の写真をバンバン貼っても大丈夫ですから、
入所者さんが心地よく過ごせるようにどんどん使ってくださいね、とか
職員さんたちの気遣いは多岐にわたり、
よりよい看取りのために最善を尽くそうという心配りがとにかくありがたい。


午後から医師説明があるとのことで、父に「用事を足しに外出してくるね」と
声をかけて、説明時間まで食事を摂ることにした。
この近所にはランチを食べるのにちょうどいい店が結構たくさんある。
スーパーやリサイクルショップも徒歩5分圏内の、住むには便利な場所。
つい2ヶ月前まで、父はここで自由気ままに暮らしていたのに。
終の棲家でその生活が続くと信じていた父は、
道路ひとつ隔てた、別の終の棲家で、思い描いていたのとは違う最期を迎えるのだ。

ダーリンはどんなことを考えているのだろう。
もう二度と、こんな風にごはんを食べることのない父を思っているのだろうか。
無言で二人、ごはんを食べたのだった。


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老健転院 [父の介護]

11/27。老健転院のため札幌に向かう。
でも本当に転院できるかはまだわからない。
当日朝の診断で発熱や肺炎の徴候があれば、老健では受け入れができないため、
父の体調次第なのだ。
10時の出発に合わせて30分前までに病院に着きたかったが、
渋滞に巻き込まれて少し押しそうだ。
移動しながら病院に連絡したら、
「10時までに着けるなら大丈夫ですよ。転院可能との診断も出ましたよ」とのこと。

父はストレッチャーで移動するので、
ケースワーカーさんが介護タクシーを手配してくれている。
私は父に付き添い、ダーリンはステーションワゴン君で別途老健に向かってくれる。
先に退院手続きをして、父の病棟に向かった。
父がストレッチャーで搬送されてきた。
衰弱しているが、「これから老健に移るからね。慣れ親しんだ施設の向かいだよ」と
声をかけると、頷いてくれた。意識はしっかりしているようだ。

移動する時、ナースステーションから大勢の看護師さんが出てきて、
皆でお見送りをしてくれた。
「がんばってね~」「いってらっしゃ~い」と手を振ってくれる。
好きで絶食させたわけでもないのに、父の苛立ちの矛先となって
時にはオムツを投げつけられたであろう看護師さん達が、笑顔で見送ってくれる。
なんだかぐっと来て、涙ぐんでしまった。
色々制限のある中で、本当に良くしていただいた。
ありがとうございました。

移動中は、父の手をさすりながら、
「老健はいつも通っていた向かいのクリニックと棟続きになってるんだよ」
「お父さんが大好きな公園もすぐ横にあるよ」と話しかける。
すっかり肉が削げ落ちて、骨と皮だけの手だが、
老人特有の、しんなりとしたツルツルした手触りが
祖父母や晩年の母、叔母の手を思い出す。
ああ、みんな、こういうツルツルの手触りだったなぁ。
私、老人の手をさするの、好きだったなぁ。
父はもう、晩年の老人の手なんだなぁ、としみじみ思いながら。

そうして、ついに老健に転院することができたのだった。


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老健転院に向けて動く [父の介護]

さてさて。姉が帰名してからは、本当に記憶があいまいだ。
11/27転院に向けて再度調整していただくことになり、その間は施設の荷物の後始末、
支払や解約手続き、不動産会社とのやりとりなどで忙殺されていた記憶しかない。
しょっちゅう札幌に行っていたけれど、
その間はおそらく一度もしくは二度の面会だったと思う。
姉の面会時の話と違って、とても衰弱していた。
唯一自由に動かせる手だけをひらひらと宙に舞わせているばかりで、
私の問いかけに動かす手も、肯定なのか否定なのか、父の意思が量りかねる状態だった。
このまま父と意思疎通できないまま最期を迎えてしまうのかと不安になる状態だった。
姉に「もう父は危ないかもしれない」と電話した。
名古屋に帰ったばかりではあるが、緊急性があるならまた帰省するよ、と言ってくれた。

11/27老健転院とスケジュールは決まったが、あとは父の体調次第だ。
また肺炎を起こしたり発熱したりすると白紙に戻ってしまう。
病院に居る限りは自由に会うこともできないのだから、
なんとしても看取り前に老健に転院してくれることだけが望みだ。
もしかしたら、病院としてもこのまま病院で看取りになるよりも
面会できる老健に転院して最期を迎えさせてあげたい、と意図してくれている気がする。
病院との電話の際に、姉が帰名前に面会できたことを喜ぶと、
「いや、長女さんがもう帰られるというので、その前に何としても面会していただきたくて」と
ケースワーカーさんが言っていたことからも、配慮いただいた可能性を感じた。
今の父が老健に移っても、おそらくもう二度と経口摂食はできないし
レクを兼ねた楽しいリハビリも、サークル活動も、ロビーでTVを見ることも、
老健に移りさえすればできる、と期待していたことは何一つできないだろう。
私達家族との最期の時間を過ごすためだけの転院なのだと思う。



冬になってからの石狩はいちいち吹雪いて、札幌往復もなかなか大変になってきた。
冷蔵庫の引き取りのため札幌に行くことになっていたが、
引き取って処分してくれる役を買って出てくれた姉の友人が、
「その日は天候が荒れるらしいぞ。施設に言って鍵さえ開けてくれるようにしてあれば
事前に俺一人で引き取れるから、無理して札幌に出てくるな」と言ってくれて、
ありがたくお言葉に甘えることにした。


病院も、施設も、老健も、姉の友人に至るまで、
みんなみんな少しでも良い方向へと気遣ってくれているのが、身に沁みてありがたい。
そして、いつも一緒に動いて支えてくれているダーリン。
陰に日なたに支え、共有してくれる頼りになる姉。
何より、ついえようとしている中で懸命に生きてくれている父。
生きていくということは、支えられ、支え合っていくことなんだな。

どうか、無事に老健に移れますように。


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