SSブログ

母の時をなぞるかのように [父の介護]

まるで、会いたい人にひととおり会えたタイミングを待っていたかのように
たったひとりで逝ってしまった。

午後に姉と姪が面会に行った際にも、
「呼吸が浅くなっている」と看護師さんに言われたそうだ。
いつその時がきてもおかしくない状態だという意味だったんだろう。
老健は夜間、80人ほどいる入居者さんをたった一人の看護師さんが担当するので
終末期の入居者だからといって 付きっきりという訳にはいかない。
呼吸が浅いことを考慮して この日は何度も様子を見に行ってくれていたそうだが、
22時には異常はなかったという。
22時30分頃に行った時には すでに呼吸が止まっていたそうだ。
だから、息を引き取ったのは22時から22時30分の間ということだ。


母が亡くなった時のことを思い出す。
母は療養型病院で最期を迎えたが、誰にも看取られず、やはりひとりで逝ってしまった。
危篤だとの知らせを受けて、私達家族と、母の妹である叔母とで病院に泊まりこんだが、
その付き添った3日間、母は持ちこたえた。
小康状態になり、仕事もそう長くは休めないので、一旦付き添いはやめて
いつものように各々母の見舞いに行く、といく生活に戻った。
そんな生活が2週間ほど続き、私は仕事前の午前中に、姉は仕事上がりの夕刻に、
それぞれ母に会いに行った日の22時35分に母は亡くなった。
すべての数値が落ちている状態だったので看護師詰所の隣の病室で見守り、
やはり看護師さんが何度も様子を見に来てくれていたものの、
次に行った時には呼吸が止まっていたそうだ。

亡くなった時間といい、誰にも気付かれないタイミングといい、
まるで母が逝った時をなぞるかのように、父は逝ってしまった。


老健の医師は巡回なので、明朝 医師の死亡診断が出てから葬儀等の手配が始まる。
今晩はこのままこの部屋に、眠るように安置させてもらえるという。
姉がすぐ老健に向かい、今晩は父に付き添ってくれる。
「まだあたたかいよ」とメールが来た。
夜が明けたら、私達も急ぎ札幌に向かおう。
準備も覚悟もしていたつもりだったが、
結局、父も母も、最期を看取ることはできなかった。


nice!(0)  コメント(4)