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姉が名古屋に戻る前に [父の介護]

さて。父がらみの話が随分と後回しになってしまった。
ちょっと時系列が前後したりあやふやになっているところもあるが、振り返ろう。

11/11に姉とともに厚田に帰る途中に「助けてくれ」と電話が入って以来、
父には面会することもできず、ただただ待機、という状態だった。
とはいえ、私達は毎夜晩酌しながら厚田メシを楽しみ、普通に生活していた。
2階の部屋は多少虫が這い出して来ることを気にしなければ泊まるのには支障がなく、
姉も「もっとすごいところかと思ってたけど、全然大丈夫じゃないの」と言ってくれた。
父のことが頭から離れないものの、姉と過ごす数日はいつもとは違った楽しさがあった。
でも、姉は自分の通院もあるため11/16には名古屋に戻らなければならない。
姉が居てくれるうちに、なんとか老健に転院して、施設も片づけて、と言う予定は
もう無理になってしまった。

11/13。医師面談のため、三人で札幌に向かう。
病院に行ったとて、11/14まではコロナ対応で面会禁止のため父には会えないのだが。

面談では、以下のような説明を受けた。
・コロナについては短期間で解熱し、酸素投与も不要な状態で治癒した
・しかし11/8に再び発熱、誤嚥性肺炎によるものと診断
・一時的に酸素投与も必要になり、喀痰も増加
・治療により現在は再び落ち着いている状態 ・・・とのことだった。
老健への転院は一旦延期となったが、病状が落ち着いてきたので再調整をする方向。
父の病状は発熱を繰り返す中、さらに一段階進んだ印象で、薬の服用も難しい。
点滴によって薬の投与と水分補給を行っているが、もう針を刺すのも難しくなってきており、
点滴も難しい場合は皮下点滴に移行していくが、それも限界がある。
残された時間の予測は難しいが、最期の時は以前よりも近づいてきており、
病状によっては病院での看取りの可能性もあるかもしれない、とのことだった。

この説明ですべて合点がいった。
コロナ回復後の誤嚥性肺炎以降は摂食も薬の服用も、その時に飲めたであろう水も、
もう口からは摂れなくなってしまっていたということだ。
食事も水も与えられない状態で、11/11に「助けてくれ」の電話が入ったんだね。
本人には納得できない状況だったんだろうな。
病院としては経口摂取=誤嚥性肺炎に直結という状態なので、
口の渇きについてはガーゼに浸みこませた状態で水分を摂れるように
対応していくとのことだった。


施設の片づけをして、11/20に姉の友人に手伝って貰って冷蔵庫さえ搬出すれば
あとは厚田に持ち帰ったり施設にゴミ出しをお願いすればいいだけの状態にした。
いったん皆で厚田に帰る。
姉は11/15には名古屋に向かうが、当日に厚田の天候が荒れて移動できなくなるのが怖いので
出発前日は札幌に泊まる、というので翌朝JRあいの里学園前駅まで送った。


姉は父の介護のために部屋を借りて札幌に住んでもいいと言ってくれたが、
住居も決まらず、このままでは借りるより先に父が最期を迎えてしまうかもしれない。
だから今回はいったん札幌に住むプランは白紙に戻そうということになった。
もうカウントダウンは始まってしまったのかもしれない。


姉は11/15に無事帰名したが、医師面談時にもケースワーカーとの電話でも
「姉は11/15にはもう帰らなきゃならないんです」と訴えていたのが効いたのか、
なんと帰る前に面会できたそうだ。
確かに弱って更に痩せていたが、眼光もしっかりしていて、
声は出せないものの身振りで意思表示もしっかりできていたとのこと。
良かった。 せっかく来てくれたのに、たった一度しか会えないんじゃあんまりだった。
父も姉の顔を見て少しは安心してくれただろうか。


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