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近親者だけの小さな葬儀 [父の介護]

翌朝は巡回の医師が死亡診断をし、公的にはその時が父の死亡日時となった。
深夜に葬儀社と連絡を取り合い、死亡診断を待ってお迎えに来てくれた。
葬儀が多く、すぐには斎場が空かないため父は別の大きな斎場の、
家族控室のような所に安置され、12/6に本来の斎場に移送されての通夜となった。

名古屋に帰ったばかりの姪っ子家族が来てくれることもあり、
その準備や供物・通夜振る舞いの手配で姉が外で動いてくれる間、
私とダーリンは神社さんや葬儀屋さんとの連絡をとりながら、
安置された父に付き添っていた。
一晩中、父が好きだった抒情歌を枕元でかけながら
飲みたくても飲めなかっただろう飲料をあれこれ供えて話しかける時間だった。

94歳だった父。兄弟たちはもう末の妹しか健在ではなく、親戚も遠方のため、
近親者だけの小さな家族葬で送ることにした。
ひ孫たちもまだ幼いので、一組だけで気兼ねなく使わせてもらえる家族葬は
父との別れの時間を落ち着いて過ごすことができて、とても良かったと思う。
父が最後まで手元に置きたがったムートンのジャケット、時計、靴は
できるだけ一緒に持って行ってもらえるようにしたが、
安心して旅立ってくれただろうか。

告別式に、姪っ子が今までの写真をスライドショーにしてくれて、
お別れの時に流してもらった。
姪っ子がBGMに選んだのは、『ふるさと』。
父と姪っ子の思い出の中にも、父の好きな抒情歌があったんだ。
こんなに父を思って泣いてくれる孫を持って、父は幸せ者だなぁと思う。


すべて終わって、名古屋へ帰る姪っ子家族を見送ってから、
老健に残していた父の荷物やお骨と一緒に、姉と三人、厚田に帰る。
姉がしみじみと「もう両親ともいないんだなぁって思った」と言う。
父が逝く日を、覚悟し心の準備をしていたつもりだったが、
「父が居なくなった後」の心境を想定していなかったことに気付き、改めて驚く。
いつかは来る日。
もうこの世に自分を生んで育ててくれたひとが、どこにも居なくなる日。
それが今日だったんだね。


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