護ってくれているのかも [厚田民としての生活]
今日も引き続き、台地の原野を掘りおこす。
連日やっているのに、まだ1m×5mほどの畝予定地の、
脇溝の一辺を掘ることしかできていない。
固くて太いススキの根は、ものすごいネットワークを作って表土を覆っている。
そこを ひっぺ返してから、粘土と石で固まった土にスコップを入れていく。
いちいち石に当たって、ゴリゴリ言うだけで、ちっともスコップが入らない。
けれど、根の部分をひっぺ返してみて、はっとする。
根が進んでいく先は石だらけなのに、その石を抱くようにしながら、
少しずつ少しずつ石を邪魔者にしないで、根を伸ばせる場所を探して進んでいるのだ。
ああ、こうして、どんな土地でも植物たちは対処していくのか。
そして、この粘土だって、粘土単体なら粒子が細かすぎて にっちりと固まってしまう筈。
石があることで、隙間を作って空気や水を通そうとしていたのかもしれない。
なんだかとてもうまくできているシステムなんだなぁ。
でも、私もここで生きていきたいの。
私達でもしっかり食べていけるものを栽培したいの。
ここに少し手を入れさせて。
少しでも空気や水が通りやすくなれば、ススキや笹だけが頑張らなくても、
細かくて浅い根を張る、背の低い植物たちがきっと一緒にここを更に豊かにしてくれるよ。
背後の森からだんだん、高木・中低木・低木と背を低くしていって、
道路際の低い草たちからどんどんお日様のチカラを波及させ、
森からは水のチカラを波及させていけるような里山にしていきたいの。
だから、お願い、協力して。
祈るような気持ちでスコップを入れる。
気のせいか少しはスコップが入るような気がする。
10cm足らずだけれど、溝が少しずつ切れていく。
ここに空気が当たって少し乾けば、下も もう少し深く掘り込めるだろう。
そうして溝に空気が入ったら、改めて燻炭や石や小枝を溝に敷こう。
降った雨がここに流れて、浸みこんでいくようになれば、
この溝が空気と水の流れを呼ぶきっかけになれるんじゃないだろうか。
ヒントをくれてありがとう、ススキたち。
私も、この石を邪魔者にせず、抱くように馴染んでいけるようにするよ。
・・・ココロに希望を抱いた所で、腰痛がやってきて今日も作業は中断。
おうちに入ろうとしたら、昨日のアオダイショウだろうか、
サンルームの日陰に、くねくねっとなって涼んでいた。
アオダイショウくんは、もしかしてこのおうち周りを縄張りにしているのかな。
そういえば、いつもおうちの前の田んぼを電線に停まって一羽で見ているカラスが居る。
勝手にガァ助、と名前をつけて遠くから話しかけているのだが、
たくさん居るカラスたちも、それぞれ主だった田んぼの縄張りがあるのかも。
去年、早朝イチゴ農家さんに向かう道のりを、いつも一緒に飛んできてくれたトンビ。
一緒に飛ぶというより、担当の縄張りを見守っているのかもしれない。
もしかして、もしかして、野生生物たちも自分の縄張りを守りながら生きている?
だとしたら、すごく嬉しいよなぁ。
私達が居ることも込みで、それぞれが、空から、地面を這いながら、土に根を張りながら、
この土地の豊かな恵みをいただいて、護っている。
みんながみんな、護り神なのかもしれないなぁ。
もしかしたら植物たちは、根を張りながら水を空気を循環させようとしているかも。
ネズミや小鳥は植物を食べながら、種や花粉を運んで繁茂できる範囲を拡げているかも。
アオダイショウはおうちに入ろうとするネズミや笹薮の小鳥を捕食しているかも。
そのアオダイショウもトンビに捕食されているかも。
あのタヌキだって、うちの周りを縄張りにしていて、色々な亡骸を食べているかも。
ここが縄張りなら、本当にカノジョを見せに挨拶に来てくれたのかもしれないね。
そうやって、巡り巡っているのかもしれないなぁ。
食物連鎖、って知識としては頭にあったけど、実感したのは初めてだなぁ。
遠い昔から『八百万の神』、という概念があったのも
こういう周りのずべての事象が、
完璧で大いなる意図で満ち満ちていることを実感していたからなのかなぁ。
そんなことを、眩しい空を見ながら、ほわ~んと感じる一日だった。
連日やっているのに、まだ1m×5mほどの畝予定地の、
脇溝の一辺を掘ることしかできていない。
固くて太いススキの根は、ものすごいネットワークを作って表土を覆っている。
そこを ひっぺ返してから、粘土と石で固まった土にスコップを入れていく。
いちいち石に当たって、ゴリゴリ言うだけで、ちっともスコップが入らない。
けれど、根の部分をひっぺ返してみて、はっとする。
根が進んでいく先は石だらけなのに、その石を抱くようにしながら、
少しずつ少しずつ石を邪魔者にしないで、根を伸ばせる場所を探して進んでいるのだ。
ああ、こうして、どんな土地でも植物たちは対処していくのか。
そして、この粘土だって、粘土単体なら粒子が細かすぎて にっちりと固まってしまう筈。
石があることで、隙間を作って空気や水を通そうとしていたのかもしれない。
なんだかとてもうまくできているシステムなんだなぁ。
でも、私もここで生きていきたいの。
私達でもしっかり食べていけるものを栽培したいの。
ここに少し手を入れさせて。
少しでも空気や水が通りやすくなれば、ススキや笹だけが頑張らなくても、
細かくて浅い根を張る、背の低い植物たちがきっと一緒にここを更に豊かにしてくれるよ。
背後の森からだんだん、高木・中低木・低木と背を低くしていって、
道路際の低い草たちからどんどんお日様のチカラを波及させ、
森からは水のチカラを波及させていけるような里山にしていきたいの。
だから、お願い、協力して。
祈るような気持ちでスコップを入れる。
気のせいか少しはスコップが入るような気がする。
10cm足らずだけれど、溝が少しずつ切れていく。
ここに空気が当たって少し乾けば、下も もう少し深く掘り込めるだろう。
そうして溝に空気が入ったら、改めて燻炭や石や小枝を溝に敷こう。
降った雨がここに流れて、浸みこんでいくようになれば、
この溝が空気と水の流れを呼ぶきっかけになれるんじゃないだろうか。
ヒントをくれてありがとう、ススキたち。
私も、この石を邪魔者にせず、抱くように馴染んでいけるようにするよ。
・・・ココロに希望を抱いた所で、腰痛がやってきて今日も作業は中断。
おうちに入ろうとしたら、昨日のアオダイショウだろうか、
サンルームの日陰に、くねくねっとなって涼んでいた。
アオダイショウくんは、もしかしてこのおうち周りを縄張りにしているのかな。
そういえば、いつもおうちの前の田んぼを電線に停まって一羽で見ているカラスが居る。
勝手にガァ助、と名前をつけて遠くから話しかけているのだが、
たくさん居るカラスたちも、それぞれ主だった田んぼの縄張りがあるのかも。
去年、早朝イチゴ農家さんに向かう道のりを、いつも一緒に飛んできてくれたトンビ。
一緒に飛ぶというより、担当の縄張りを見守っているのかもしれない。
もしかして、もしかして、野生生物たちも自分の縄張りを守りながら生きている?
だとしたら、すごく嬉しいよなぁ。
私達が居ることも込みで、それぞれが、空から、地面を這いながら、土に根を張りながら、
この土地の豊かな恵みをいただいて、護っている。
みんながみんな、護り神なのかもしれないなぁ。
もしかしたら植物たちは、根を張りながら水を空気を循環させようとしているかも。
ネズミや小鳥は植物を食べながら、種や花粉を運んで繁茂できる範囲を拡げているかも。
アオダイショウはおうちに入ろうとするネズミや笹薮の小鳥を捕食しているかも。
そのアオダイショウもトンビに捕食されているかも。
あのタヌキだって、うちの周りを縄張りにしていて、色々な亡骸を食べているかも。
ここが縄張りなら、本当にカノジョを見せに挨拶に来てくれたのかもしれないね。
そうやって、巡り巡っているのかもしれないなぁ。
食物連鎖、って知識としては頭にあったけど、実感したのは初めてだなぁ。
遠い昔から『八百万の神』、という概念があったのも
こういう周りのずべての事象が、
完璧で大いなる意図で満ち満ちていることを実感していたからなのかなぁ。
そんなことを、眩しい空を見ながら、ほわ~んと感じる一日だった。
2024-05-18 06:14
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