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父の五十日祭で思い出したこと [父の介護]

なんだかんだ雪や寒さでオタオタしているうちに、日々は過ぎていく。
1/22が父の五十日祭(仏式でいうところの四十九日)だ。
あっと言う間だったなぁ。

父の介護のために一時札幌に住む、と言っていた姉だが、
思わぬ急展開で父が逝ってしまって、札幌移住は一旦流れた。
が、これから五十日祭・百日祭・納骨を控えて
何度も名古屋と往復するのではなく、雪が降るまでの一時移住を決めた、と連絡が来た。
ウィークリーマンションを月単位で契約したらしい。
そんな訳で、父の残した荷物のうち、姉が使えそうな物を届けることになった。


姉用の荷物を積んで、札幌に向かう。
合流したら、お供えを調達して、神社さんへ向かう手筈だ。
札幌はやはり雪が少ないが、捨てる所がないので住宅地は道路脇の雪が高く積み上がり、
道幅も狭くて走りにくい。
姉のウィークリーマンションには駐車場がなく、停車スペースもない。
人様の駐車場入口を塞いだ上に、
道路にはみ出して停車しながら作業するのはヒヤヒヤもんである。
改めて、札幌は違う意味で大変だなぁと思う。
姉が来たとはいえ、厚田の冬は大荒れで今まで以上に往復するのが苦になるし、
札幌の道路事情や駐車場のことを考えると、
これからは そうそう札幌に来ることはないだろうなぁ。


神社で五十日祭を執り行い、姉の住まいの近隣で一緒にお昼を食べる。
「お父さんの最期は、天晴れだったよ」と姉は言う。
「病院でろくに会えないままじゃなく老健に移るまで頑張ってくれたし、
好きなことして、思う存分生きて、老健で切り崩すことになる貯えも、
ちょうど葬式や式年祭の分だけ残して。
残った身内で争うような遺産もなく、きっちり使いきってさ」
本当にそうだ。病院や老健のはからいもあったろうけど、
1週間後に亡くなるのに、ちゃんと老健に移れる状態で持ちこたえてくれたよなぁ。
「会うべき人に会ってから、見計らったように逝ったもんね」
「何より天晴れなのが、パッと上がって行った事だよ」


ここでちょっと不思議な話。
姉は、いわゆる霊感的なものがちょっと有って、
何かがついてきちゃったり、何かが見えちゃったりすることがあるらしい。
母が亡くなった後は、しばらく母の気配があったそうだ。
「でも、お父さんは全然だった。スパーンと上がって行ったと思うよ」
そうかー。そうなんだー。
私はそんなの全然感じないからなぁ。スパーンと、かぁ。

そして思い出したことがひとつ。
父も母もまだ全然元気だったころ、姉の家で食事してワイワイ話していた時のこと。
「やっぱり、死ぬときはピンピンコロリがいいよね」
「でもさ、いきなり急死だと、心の準備ができないからさ。家族のためにも
長患いせずに一週間くらいの猶予期間、てのが理想だよね」
「おお、じゃあ死ぬときは一週間だな」なぁんて、
皆でワハハ、ワハハと笑いながら話していたんだった。

父ったら、会えるようになってからぴったり一週間で。
ああ、気付かなかったよ。
あの時の、軽口たたいた約束通りだったんだね。
天晴れだよ、お父さん。


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