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老健転院に向けて動く [父の介護]

さてさて。姉が帰名してからは、本当に記憶があいまいだ。
11/27転院に向けて再度調整していただくことになり、その間は施設の荷物の後始末、
支払や解約手続き、不動産会社とのやりとりなどで忙殺されていた記憶しかない。
しょっちゅう札幌に行っていたけれど、
その間はおそらく一度もしくは二度の面会だったと思う。
姉の面会時の話と違って、とても衰弱していた。
唯一自由に動かせる手だけをひらひらと宙に舞わせているばかりで、
私の問いかけに動かす手も、肯定なのか否定なのか、父の意思が量りかねる状態だった。
このまま父と意思疎通できないまま最期を迎えてしまうのかと不安になる状態だった。
姉に「もう父は危ないかもしれない」と電話した。
名古屋に帰ったばかりではあるが、緊急性があるならまた帰省するよ、と言ってくれた。

11/27老健転院とスケジュールは決まったが、あとは父の体調次第だ。
また肺炎を起こしたり発熱したりすると白紙に戻ってしまう。
病院に居る限りは自由に会うこともできないのだから、
なんとしても看取り前に老健に転院してくれることだけが望みだ。
もしかしたら、病院としてもこのまま病院で看取りになるよりも
面会できる老健に転院して最期を迎えさせてあげたい、と意図してくれている気がする。
病院との電話の際に、姉が帰名前に面会できたことを喜ぶと、
「いや、長女さんがもう帰られるというので、その前に何としても面会していただきたくて」と
ケースワーカーさんが言っていたことからも、配慮いただいた可能性を感じた。
今の父が老健に移っても、おそらくもう二度と経口摂食はできないし
レクを兼ねた楽しいリハビリも、サークル活動も、ロビーでTVを見ることも、
老健に移りさえすればできる、と期待していたことは何一つできないだろう。
私達家族との最期の時間を過ごすためだけの転院なのだと思う。



冬になってからの石狩はいちいち吹雪いて、札幌往復もなかなか大変になってきた。
冷蔵庫の引き取りのため札幌に行くことになっていたが、
引き取って処分してくれる役を買って出てくれた姉の友人が、
「その日は天候が荒れるらしいぞ。施設に言って鍵さえ開けてくれるようにしてあれば
事前に俺一人で引き取れるから、無理して札幌に出てくるな」と言ってくれて、
ありがたくお言葉に甘えることにした。


病院も、施設も、老健も、姉の友人に至るまで、
みんなみんな少しでも良い方向へと気遣ってくれているのが、身に沁みてありがたい。
そして、いつも一緒に動いて支えてくれているダーリン。
陰に日なたに支え、共有してくれる頼りになる姉。
何より、ついえようとしている中で懸命に生きてくれている父。
生きていくということは、支えられ、支え合っていくことなんだな。

どうか、無事に老健に移れますように。


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