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せん妄の症状なのか? [父の介護]

10/6の医師面談の後、週に一度父に面会していた。
リハビリの甲斐あって、日中ならつたい歩きでトイレに行ったりできているようだ。
ひさびさにオムツでなく、トイレで自力で排泄できたことが一度あって、
「とてもスッキリした、気持ちが良かった」と喜んでいた。
意識もしっかりしており、認知症の症状もないと医師からも言われている父。
身体だけが今まで通りには動かせず、排泄や食事など本能に直結する部分で
人の手を借りなければならないのは随分苦痛だろうなと思う。
同室の患者さんが次々陽性になって逆隔離された個室は、
窓から中華料理屋が見えるため、「退院したら真っ先にあそこで食べるんだ」と
看護師さんに話しているらしい。
「相変わらずだなぁ。脳梗塞の時も窓から見える飲食店に最初に行くって言ってた」と
笑うものの、席に座って、普通の食事をする自分を想像していると思うと、
今回はそれはできないんだよ、と痛々しく思う。

食事をする=誤嚥肺炎のリスクを増大させる、ということであり、
発熱したりすると食事を摂らないという選択肢になるため、
徐々に病院での食事の機会も減ってきている。
それに伴って、飲みこむ機会が減ると口周りの筋肉が衰えるのか、
言葉がどんどん聞き取りにくくなってきている。
時々電話が来るが、ほとんど聞き取れず会話にならない。

前回の面会で、「退院しても施設には戻れないけど、施設のお向かいにある老健に
行けるように今動いているからね」と話すと、
「俺は病院から出ないぞ」と言いだす。
今回の面会では、何かに苛立って看護師さんにオムツを投げつけたことを聞かされる。
本人同席の医師面談で、
嚥下の機能に改善が見られず、誤嚥肺炎を繰り返しているので、
このままでは食事摂取自体ができなくなる、という話も出てきた。
老健に転院することで、週に1回頻度くらいで「お楽しみ程度」に口にすることはできる、
という話も、父の中では「一日一回程度に食事が減らされる」と変換されており、
同席していた一同が「ああ、受け入れられない事実なんだ・・・」と落胆した。

医師や私達が再度状況を説明して、「承知した」と、一旦面談場所から父は退出した。
父が病室に戻った後にも面談は続いたが、
「食べられないという事実が受け入れられずに、どうも毎回情報が書き換わるようです」と
医師や看護師から説明を受けた。
一旦理解しても、父の中では
「退院して、施設に戻って、向かいのクリニックに通うのが最善」と帰着するようだ。
病院から出ないぞ、という話も、食事が摂取できなくなる話が書き換わるのも、
いわゆる「せん妄」という症状なのだろうか。


たとえ誤嚥肺炎で死につながる事態になったとしても最期まで食べさせてあげたい、
という気持ちは私達にもある。
でも、現在の医療体制の中では、入院療養か老健か位しか選択肢はなく、
そこから外れた介護を望むならば自宅に引き取るしかない。
「あれだけ食べることが好きなお父ちゃんが、食べられなくなるのが可哀想だ」と
ダーリンは「うちで引き取ってもいい」と言ってはくれる。
しかも、優しいから、父を思ってつい泣いちゃうのだ。本当に優しいなぁ。

だが、現実的には、父が家に足を踏み入れるだけでも大変なのだ。
現在の父の体調なら、介護タクシーを使って車いすかストレッチャー搬送だが、
まず、札幌からの搬送時間が長い。
着いても、段差がいくつもあって、車いすもストレッチャーもタタキから上へは入れない。
父を寝かせるベッドに連れて行くだけで、何段も段差を越えて
二人で抱えていかなければならないだろう。
トイレはどうする? うちは汲取りだ。トイレに水道も通っていないし、
トイレにも、そこに至る過程にも手すりはない。結局オムツしか選択肢はない。
部屋に手すりをつけたり、段差をなくしたりするだけでも大変だ。
そもそも、病人が快適に過ごせる温度を保てるのか?
隙間だらけ、虫だらけの部屋。暖房のない廊下や玄関との温度差はどうするのだ。
もし具合が悪くなったら? 厚田にはクリニックしかない。
救急搬送したとしても石狩や札幌の病院では遠すぎる。
ちょっと想像しただけでも、全然、まったく、現実的ではない。
姉や周囲からも、「一時の感情だけでは済まない話だよ」と諭された。
本当にそうだ。私達ができるとこととしたら、
父に食べる喜びを少しでも感じてもらえる食事を提供する、以外は全く無力だった。

姉とも話し合い、「最善の選択肢は老健と信じて、とにかくその方向で進めよう」
ということになった。
入院中の病院のケースワーカーさんが親身に動いてくれて、
老健での受け入れを模索してくれている。
老健の見学もできるらしい。
姉はそれに合わせてまた札幌に来てくれることになった。
「父を見送るまで札幌に住んで、できる限りのことをしてあげたい」と言ってくれた。


延命措置を望まない、と言うのも、
父の望みをできるだけ叶えたい、と言うのも口では簡単だが、
母のように静かに枯れていくことを想定していた私達にとって、
こんなにも「生きたい!」と強く願いながら身体が追い付かない父の姿は想定以上だった。
ある程度覚悟をしていたものの、それはまだ覚悟とは言えなかったのかもしれない。
ひとりではかかえきれない想いを、
医師、看護師、ケースワーカー、施設の職員、関わった人達すべてが
なんらかの形で力になってくれていることが本当にありがたい。
そして、一緒に想いを抱えてくれるダーリンと姉が居てくれることが、
何よりも、何よりも、ありがたい。


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