私をとりまくすべてのもの [家庭菜園]
昼前には雨になるらしい。
ダーリンを送り出してから、早速畑に向かう。
植えた苗のお世話だけでなく、まだまだ種まきもしたいし、
カボチャ苗とミョウガ苗の植えどころが決まっていないのだ。
畑はあまりに陽を遮る場所がないので、
ミョウガに関しては庭の一角でそっと野に放とうかと思っている。
少し日陰になる時間がある所が好きかなぁ、と予想して。
カボチャは広々したスペースが必要なので、3本目の畝になりかけの所に。
でも、2株植えたら、きっと全部占領するだろう。
さぁて。エダマメと大豆をいまさら播こうと思っているが、
大豆だけは量産したいので、大豆専用の畝を1本拡大したい。
でも、作った圃場の隣は植生が荒々しくて、同じ宿根草でもゴツい子ばかり。
すぐ隣なのに、荒地の段階が一段上な感じで、
ちょっと宿根を切ったところに混ぜてもらう程度では、太刀打ちできそうにない。
どうやってここを、うまいこと畝にできるかなぁ・・・。
ここはもともと、都会の人に農業体験をしてもらって
地域と都会の交流を図ろうとしていた施設なんだと思うが、
長らく活用はされていなかったようだ。でも、定期的に草刈りをして整えているので、
単なる原野ではなく、人の手が入った、荒々しい野原、といったところ。
ススキとかチガヤとか、根のゴツい子が主流で、
アカツメクサやヨモギも背が高く、ガタイがいい。
チガヤは葉が華奢なので敷き草にしても比較的早く腐植してくれそうだが、
殆どの草は乾燥すると茎が「枝」になってしまうようなゴツい子たちばかりなのだ。
ただ、それは畑にしようと思うから不都合なだけで、
植物たちはきっと「お役目」があってそこに展開しているはずだ。
乾燥しがちならば、深く根を張って地上と地下の水を繋げ、
その土に足りない栄養素を補う子が生えてきている、と思っている。
ここの土には、この子たちが必要なのだ、と。
わぁぁ。そんなこんなをしていたら、大粒の雨。
思ったより降り出すのが早かった。
近くのハウスの屋根を叩く雨音が、バチバチバチと大音量を立てる。
背後の森が風に大きく揺られながら、お互いの葉擦れと雨粒とで轟々と音を立てる。
あっと言う間にビショ濡れになりながら、急いでおうちに駆け込んだ。
ああ、ちょっとしか作業ができなかったのに、今日はもう畑に出られないなぁ。
畝をつくりながら思ったのだが、
私の作る畑は『移住者の姿勢の畑』だなぁ、と思う。
そこに生えている草を根絶やしにして掘り起こすのではなく、
そこに根を張っている先住者に、そっと混ぜてもらう。
すでにできあがった環境を変えるのではなく、ちょっとだけ居場所を作らせてもらって、
先に張った根が作り出した水と空気の流れに助けられながら、
張り巡らされた根の合間に自分が根を張れる場所を見つけ、作っていく。
新しい種が加わったことで生まれる ほんの少しの変化で、
その土壌に新しい何かが生まれたら、実りに繋がったら、ステキだなぁと思うのだ。
もともと、ジャガイモもトマトもカボチャも、遠い国からやってきて
何代もかけて新しい耕作地に馴染み、その土地に合った進化をしてきての今なのだ。
私たちもそうやって、厚田の男・厚田の女に進化していきたい。
起こることはすべて相似形。
私をとりまくすべてのものは、私を映す鏡。
同じ映るなら、笑顔を映して行こう。
お陽さんを映す田んぼの水鏡が、光を何倍にも反射してくれるなら、
お陽さんのように、私が光ろう。
私をとりまくすべてのものが、
いつも何かを教えてくれているんだなぁ。
生きているって、ありがたい。すべてのいのちが、ありがたい。
ダーリンを送り出してから、早速畑に向かう。
植えた苗のお世話だけでなく、まだまだ種まきもしたいし、
カボチャ苗とミョウガ苗の植えどころが決まっていないのだ。
畑はあまりに陽を遮る場所がないので、
ミョウガに関しては庭の一角でそっと野に放とうかと思っている。
少し日陰になる時間がある所が好きかなぁ、と予想して。
カボチャは広々したスペースが必要なので、3本目の畝になりかけの所に。
でも、2株植えたら、きっと全部占領するだろう。
さぁて。エダマメと大豆をいまさら播こうと思っているが、
大豆だけは量産したいので、大豆専用の畝を1本拡大したい。
でも、作った圃場の隣は植生が荒々しくて、同じ宿根草でもゴツい子ばかり。
すぐ隣なのに、荒地の段階が一段上な感じで、
ちょっと宿根を切ったところに混ぜてもらう程度では、太刀打ちできそうにない。
どうやってここを、うまいこと畝にできるかなぁ・・・。
ここはもともと、都会の人に農業体験をしてもらって
地域と都会の交流を図ろうとしていた施設なんだと思うが、
長らく活用はされていなかったようだ。でも、定期的に草刈りをして整えているので、
単なる原野ではなく、人の手が入った、荒々しい野原、といったところ。
ススキとかチガヤとか、根のゴツい子が主流で、
アカツメクサやヨモギも背が高く、ガタイがいい。
チガヤは葉が華奢なので敷き草にしても比較的早く腐植してくれそうだが、
殆どの草は乾燥すると茎が「枝」になってしまうようなゴツい子たちばかりなのだ。
ただ、それは畑にしようと思うから不都合なだけで、
植物たちはきっと「お役目」があってそこに展開しているはずだ。
乾燥しがちならば、深く根を張って地上と地下の水を繋げ、
その土に足りない栄養素を補う子が生えてきている、と思っている。
ここの土には、この子たちが必要なのだ、と。
わぁぁ。そんなこんなをしていたら、大粒の雨。
思ったより降り出すのが早かった。
近くのハウスの屋根を叩く雨音が、バチバチバチと大音量を立てる。
背後の森が風に大きく揺られながら、お互いの葉擦れと雨粒とで轟々と音を立てる。
あっと言う間にビショ濡れになりながら、急いでおうちに駆け込んだ。
ああ、ちょっとしか作業ができなかったのに、今日はもう畑に出られないなぁ。
畝をつくりながら思ったのだが、
私の作る畑は『移住者の姿勢の畑』だなぁ、と思う。
そこに生えている草を根絶やしにして掘り起こすのではなく、
そこに根を張っている先住者に、そっと混ぜてもらう。
すでにできあがった環境を変えるのではなく、ちょっとだけ居場所を作らせてもらって、
先に張った根が作り出した水と空気の流れに助けられながら、
張り巡らされた根の合間に自分が根を張れる場所を見つけ、作っていく。
新しい種が加わったことで生まれる ほんの少しの変化で、
その土壌に新しい何かが生まれたら、実りに繋がったら、ステキだなぁと思うのだ。
もともと、ジャガイモもトマトもカボチャも、遠い国からやってきて
何代もかけて新しい耕作地に馴染み、その土地に合った進化をしてきての今なのだ。
私たちもそうやって、厚田の男・厚田の女に進化していきたい。
起こることはすべて相似形。
私をとりまくすべてのものは、私を映す鏡。
同じ映るなら、笑顔を映して行こう。
お陽さんを映す田んぼの水鏡が、光を何倍にも反射してくれるなら、
お陽さんのように、私が光ろう。
私をとりまくすべてのものが、
いつも何かを教えてくれているんだなぁ。
生きているって、ありがたい。すべてのいのちが、ありがたい。
2024-06-19 08:02
nice!(0)
コメント(2)
Bearさんの庭づくり、この目でも見た庭なので、未来がよりリアルに想像できます!
by えまママ (2024-06-20 05:36)
>えまママ様
一緒に見てもらったことが、喜びにつながっています。
無事恵みにつながるか、随時成長を報告しますね。
お庭も、シャクナゲが満開。ツツジは終わっちゃったけど、
ショッキングピンクのバラが開花しだして、
殺風景な庭に不釣り合いな顔して おすまししてますよ。
by BERA (2024-06-20 08:59)